弁護士太田宏美の公式ブログ

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ピケティの「21世紀の資本」について 超格差社会

2015年02月27日 | 日記

今、話題のピケティの「21世紀の資本」に挑戦した。
といっても著書を読んだわけではなく、週刊ダイヤモンドの
特集を読んだだけである。

この本は基本的には膨大な、読者に検証可能なデータを
使って富める者が益々と豊かになり、そうでない者との格差が
広がっているという結果を明らかにしたものらしい。

その原因は、資本収益率>経済成長率 の等式で示される、
ただし、なぜそうなるかはよくわからないという。
データを調べたらそうなっていると。

自由だ平等だといっても実際は「超金持ちだけが儲けている
のではないか」というみんなの感じていることが事実だということを、
データで示したという点では納得であるが、
なぜそうなるのかとかそれに対してどうすべきかについては、
どうやら十分ではないようである。

富裕層により重い負担を課すべきだ(累進的)と提案していると
いうことだが、それだけでは到底十分ではないと思う。

素人考えであるが、格差の拡大はなくならいのではないだろうか
と思っている。 
益々富めるというトップ1%というのは、自分に都合のいいルールを
作ったり、運用したり(曲げたり?)できる者だからと思うからである。
佐藤優氏は「国家と超富裕層は持ちつ持たれつの関係」と書いている
が、「国家」だけとは思わないが、わかりやすくいえば、そういっても
いいと思う。
資本の収益というのは結局投資であり、投資というのはリスクがある
ものであるが、超富裕層というのはそのリスクをコントロールする力
(権力、金力、情報力など)を持っているのではないかと思うからである。
おいしいところだけを1%の者で独占し、リスクはその他の99%に
押し付ける。
99%は、その中でも、力(権力、金力、情報力など)に応じて、収益や
リスク回避し、それぞれに相応しいおこぼれにあずかる。
そして庶民といわれる多くの層は「おこぼれのおこぼれ」を互いに
奪い合う。
それが現実ではないかと思う。

社会が組織・仕組みで動く以上、そのトップにいる極めて少数の者が
メリットを受けるのは、組織の論理ではないかと思う。

だからといって何もしないというわけにはいかない。
権力や金力はすぐには手に入らない。
とすれば、とりあえず思いつくのは、情報の公開、情報に対するアクセス
をできる限り自由にすることくらいであるが、実際はここでも力の差が
決定的である。
解決策というのは容易にはみつからない。

ピケティは解決しようとしたわけではないのであろう。

ピケティは「親は選べない。格差の問題を解決するのは市民であり、
世の中をよくするために努力し、最善を尽くすべきである。そのために
この本を書いた」ということである。しっかりとした情報を持つことは
判断の基礎である。

ピケティの本は、解決策はみんなが考えなければいけない、大きな問題
があることを提起をしたもののようである。