GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

阪神淡路大震災から21年

2016-01-17 03:41:25 | BOOK/COMICS
発生当時、未曾有の災害と呼ばれた阪神・淡路大震災。
1月17日の今日、あれから21年。
もうそんなに経ったんだって、月日の流れに驚く。

いろんな事にはBefore-After、「それ以前」と「それ以降」という節目(ターニングポイント)があると思ってる。
BEATLESが出てくる前とそれ以降の音楽シーン。STAR WARS以前とその後のSF映画。Windows95登場以前とそれ以降のパソコン。
一番わかりやすいのは第二次世界大戦前を戦前といい、それ以降を戦後と未だに呼ぶ。

阪神淡路大震災はいろんな意味で、それ以前とそれ以降のターニングポイントになっている。
大都市災害の危険性と危機感。
政府や自治体の対応と判断と自衛隊のありがたさ。
災害ボランティアの活動。
災害時のジャーナリズムのあり方と報道。
携帯電話の普及もこの震災をきっかけに一気に広がった。

震災3日後に被災地入りした俺が、当時勤めてた会社本部に支店の被害状況やスタフの安否を携帯電話で連絡してたら、かなり視線が。
一人の人の発言をきっかけに、一気にいろんな人から「携帯使わせてもらえないかな」と依頼された。
当時はまだポケベルと家庭電話と公衆電話の時代。電気がなけりゃ電話も通じない。そもそも電話線自体が切れてるもんな。
携帯はもうコンパクトにはなっていたが。通話料も本体も高かったし、持ってる人は一部だった。
「田舎の家族が心配してるだろうから連絡取りたい」「仕事場に連絡入れたい」「西宮に住んでる親戚が無事なのか確かめたい」。中には「お金払うから」って1万円札を出して懇願する人もいた。(もちろん貰ってないよ)
こんなこともあろうかと思って、予備のバッテリー2個(当時のバッテリーはすぐ充電が切れた)持って行ってたのよ。

でも、あの時思った。日本人ってやっぱり助け合いの精神や、困った時はお互い様とか、自分だけがよければいいとか思わない人種なんだなって。
携帯電話を受け取った人はそれぞれ、もっとゆっくり話したいだろうに、みんな次の待ってる人に気を使って早口で話してすぐ切るの。
そして「ありがとう」って何度も頭下げられた。中には残念な会話内容だったのか嗚咽してる人もいたが、皆さんお礼を何度も言ってくれた。ごめんね俺にできることはこれくらいしかなくて。
支店は電気がかろうじてきてたから、充電をしては、見るも無残になった街に再度繰り出すことを何回か繰り返した。

まさかこんな震災が神戸を襲うなんて誰も思ってもいなかった。南海トラフとか富士山を境にした大規模地震はすでに言われてたが、活断層って言葉はこの震災からだ。
普賢岳の火砕流、奥尻島の津波、三宅島の噴火などあったのに、どこか他人事だった。神戸の震災は関東大震災以来の大都市における自然災害。都市災害の恐ろしさ、そして防災の意識の低さが浮き彫りになったのが阪神淡路大震災。
この教訓はその後の新潟地震や東北大震災、台風などの天災時に活かされてる。

当時の政権が自衛隊の存在自体を否定してた社会党だったのもアンラッキーだった。
自衛隊は知事の要請や首相の判断でしか動かせない。
村山総理は結局1週間くらい経ってからようやく自衛隊に出動要請をした。土井たか子はお膝元の兵庫県が悲惨なことになってるのに動かない。兵庫県知事も。
結局これが原因で社会党は衰退していくし、自衛隊は「やっぱり日本に必要」って意識になった。この震災がなかったら今の安保改正法案なんてありえなかっただろう。
それでも、現地入りして活動してる自衛隊が予備食を食べてたら「俺らは食うもんないのに」とか批判されてたけどね。
でもこれ以降、自衛隊の存在自体が憲法違反と公言する人はいなくなった。
そしてこの後政府や自治体は迅速に動くようになった。東北大震災の時も民主党政権で、いろいろな右往左往があったがそれも仕方がない。福島原発の爆発時の菅首相のトンチンカンな行動はその責任感の重さゆえだろう。

阪神大震災当時、なかなか動かない政府や自治体に比べて真っ先に動いたのが民間ボランティア。
山口組が真っ先に本部の食糧貯蔵庫にあった食糧を無料で配布し、暴徒を恐れて閉めてるコンビニや商店に安全警備を約束して開けさせ(海外で驚かれるちゃんと列を並んで待ってる被災者って姿はこの仕切りから生まれた)、瓦礫の撤去活動、地域のパトロール、道路の通行を仕切った。
これで民間ボランティアの意識が一気に高まった。行政は動かんあてにならん、ヤクザがここまで動いてくれてる。俺たちも負けてられるかって。
いろんな人が自主的に「何かできないか」って。
「これがないと困るだろう」って水やインスタントラーメン、下着、生理用品、ポケットカイロ、電池。どれくらいの量が全国から届いたのかわからないくらいだったが、かなり助かったのは事実。当時はNPOなんたらとかそれほどなくて、下手な仕切りもしなかったからね。今じゃ、送る服や毛布は新品でとか、ボランティア活動を現地でするにはまず登録してとか、しゃしゃり出てくるNPOがうるさくなってる。(東北震災の時なんて全国から届いた支援物資を公平に分配することばかり考えて現場にはなかなか届かなかったし、広島の土砂災害の時なんか現地の声を無視して「食料は足りてます」って。足りてねぇよ。)

報道のあり方もこの日を境に変わった。
それまでは被災地に行って、たんたんと現状をレポートするだけ。どこか他人事。
でもこの震災時は「取材しに来るんやったら水の一本でも持ってこいや」「ヘリの風のせいで砂埃舞うし、うるさいんじゃ。さっさとどっか行かせや」「何や?悲惨な姿の俺らを撮って安全なとこで面白がるんか?」ってあちこちで言われる、罵られる。全然取材なんか協力しない。邪魔。さすが阪神界隈。
それまで「悲しみにくれる残された遺族」「発生当時の心境と行動」「今後の取り組みと展望」ってパターンが一気に崩れ去った瞬間。
報道は現状をしっかり受け止め全国に伝える。それに徹する。TV局が求めるようなコメントはとらない。感情を押し殺してありのままを伝えることに徹する。
東北大震災など自然災害ではこの報道スタイルが貫かれてる。
ただし、朝日新聞だけは福島原発事故の際の職員や所長の対応を故意に捏造したりした。これ以降、事件やスキャンダルではNHK以外またもや全メディア、報道が昔ながらの報道スタイルに戻ろうとしている気がするが。

とくダネ!の笠井アナウンサーの東北震災時の現地リポートの本は、自然災害時におけるジャーナリスト、報道のあり方を書いた本だ。ぜひ機会があれば読んでほしい。

それと昨年に神戸市教育委員会が市立小中学校の児童・生徒に配布するための教材として作った「みらいへつなぐ」も読む機会があれば是非。
薄れゆく記憶、震災当時を知らない子供たちに、想いを繋ぐための冊子。
当時の被災地の様子などを紹介してるだけじゃなく、最近DAIGOと結婚して幸せいっぱいの北川景子(震災当時小学二年生)やサッカーの香川真司(震災当時5歳、幼稚園?)ら神戸出身の著名人のメッセージも掲載している。一般配布されなかったので、なかなか見る機会はないと思うが、ぜひ機会があれば読んでほしい。


いろんな「それ以前」と「その後」のポイントになった阪神淡路大震災から21年。
鎮魂、ご冥福をお祈りします。

ちなみにこれまでの内容にまったくそぐわないが、AKB48峯岸みなみのライザップCM。
これもそれ以前とその後、見事なBefore-Afterだが、なんかがっかり。あれだけ歌って踊るアイドルが、実はあんな体だったって。
ライザップはいいかもしれないが、AKB48のイメージはガタ落ちだな。
こんなそれ以前とその後はどうでもいいし。