猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

エピクロス学派とストア主義、自由意志と決定論

2019-04-08 14:20:14 | 自由を考える


エピクロス学派も初期のストア主義者も原子論者であった、とバートランド・ラッセルは『西洋哲学史』(みすず書房)で言う。

彼らは、現代の科学者と同じく、人間も含めて生き物を自律的に動く機械だと考えた。魂も、原子からできているとした。

このとき、「自由意志」と「決定論」の対立が起きる。未来が過去によって正確に規定されるなら、意志を持つことが無意味なように見えるからだ。

では、人間だけが特別なのか。

「自由意志」と「決定論(機械論)」の対立は、現代でも、なお、解決していない。

エピクロスは、「自由意志」を肯定するために、「絶対的決定論」を「確率的決定論」に修正した。
ストア主義の創始者ゼノンは、この対立に、深入りしなかった。彼は、形而上学をもともと嫌い、実用的なことに専念した。

近代になると、哲学者デカルトは、人間以外の生物を機械論的に捉えた。しかし、人間に関しては、「自由意志」の問題を解決するために、「われ思うゆえに、われあり」とし、脳の中の松果体に、「魂」があるとした。このため、デカルトは二元論者と言われる。しかし、この点を除けば、彼は、人間をも機械論的に捉えた。

現代科学では、「魂」も、神経細胞で構成される脳システムの機能である。神経細胞は、無機物と共通の元素の原子からつくられる、化学物質にすぎない。
この意味で、現代科学でも、「魂」は原子から成り立つ。

死によって脳システムは壊れるがゆえに、機能の「魂」は不滅ではない。

20世紀初頭に量子力学(quantum mechanics)が生まれたとき、因果律が決定論的でなく、確率的であると考える哲学者が出てきた。

しかし、ニールス・ボーアやヴェルナー・ハイゼンベルグのように因果律が確率的と解釈するのは、科学的には誤りであろう。
ボーアは電子が粒子だということに固執しため、確率的因果関係という概念を導入することになった。
例えば、ボーアは原子核の崩壊でエネルギー保存は確率的にしか成り立たないと考えた。実際には、ニュートリノが観測されていなかっただけで、エネルギー保存は正確に成り立っていると、現在は考えられている。

量子力学では、現在の量子状態を正確に知ることは、現実的に困難なので、実用的には、未来を確率的に予測するしかないというのが、真相に近い。

いっぽう、最近の脳科学では、神経細胞間の興奮伝達が確率的であることが、わかってきた。非常に面白い知見だと思う。

しかし、因果律が確率的だとしても、脳システムが確率的だとしても、未来の予測が確率的というだけで、「自由意志」の存在の説明にはならない。
自由意志は、しばらく、解決できない問題であろう。しかし、「自由意志」があると思うほうが、生きる元気が湧いてくる。

エピクロス学派とストア主義者は原子論者だった

2019-04-08 14:12:47 | 思想


バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』(みすず書房)の第一巻「古代哲学」の「27章 エピクロス学派」、「28章 ストア主義」は、読み飛ばすに、もったいない。

エピクロス学派も初期のストア主義者も、原子論者で、「魂の不滅」など信じない。

エピクロスもストア主義の創始者ゼノンも、アリストテレスの次の世代の、アレクサンダー大王の遠征以降の、哲学者である。

プラトン、アリストテレスは、魂の不滅を主張した。また、モノには目的があると考えた。

エピクロスやゼノンが、原子論者ということは、物質主義者(materialist)だということである。
無生物も生物も原子からできていて、天体や生き物は、何か目的があって存在するのでなく、機械のように法則にしたがって自律的に動くだけと考えた。
ともに、魂も原子からできていると考えた。

死ぬということは、これまで組織化されていた原子がばらばらになることと考えた。魂を作っていた原子もばらばらになるから、死ぬということは意識がなくなり、何も感じなくなる。
したがって、死ぬということは、実在から、他人の記憶に残るだけということだ。

これは、現代の科学が考える「死」とほぼ同じである。

エピクロス学派と初期ストア主義者は、ギリシア哲学の正統な後継者であって、プラトンとアリストテレスが、ギリシア哲学のなかで、特異なのだ。
面白いのは、ゼノンがフェニキア人で、初期ストア学派の多くがシリア人であることだ。知が、地中海沿岸では、国際化していた。

ローマ帝国の衰退とともに、科学的思考である正統なギリシア哲学の著作が散逸し、迷信がヨーロッパをおおった。
イタリアが、ルネサンス期になって、イスラム国から、正統なギリシア哲学を再輸入するということになった。

西洋哲学は、ギリシア哲学の直系ではなく、中世という大きなブランクがある。