猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

笑わないプリンセス、なぜ笑わない

2019-04-29 23:07:09 | 童話


童話には、色々なバージョンの笑わないプリンセスの物語がある。童話では、とろくて馬鹿正直な若者が、笑わないプリンセスを笑わす。しかし、焦点が笑わす若者にあって、童話では、なぜプリンセスが笑わないのか、説明しない。

2年前、芥川賞作家の津村記久子の小説をみて心が沈んだ。
主人公(女)は大学を出ている。女友達もいる。しかし、なぜ、生きていることを楽しめないのだろう。

ネットで見つけた2010年の日経BPnetのインタビュー記事を読んで、少し、津村記久子の気持ちがわかった。彼女は、大学を出て、トンデモナイ会社にはいって、すさまじいパワハラを受け、辞めている。

よく自死しなかった、と思う。電通に入った女の子は職場で孤立して自死した。

インタビューで、自分を責めないことが大事だ、と彼女は言う。ひどいことがあったら、「自分のせいじゃない」って逃げるのが良い、ひとのせいにするのがいい、と言う。
私もそう思う。上司が悪い、会社が悪い、社会が悪い、安倍晋三が悪い。

しかし、インタビューで、人とは関わりたくないんだけど、人みたいなものには関わりたい、と彼女は言う。一度、人からいじめられるとなかなか人を好きになる勇気がもてない、とも言う。人が恋しいのだ。

それでも、彼女は外に働きに出ることができるから偉い。地下鉄やバスに乗れるから偉い。

きっと、彼女を笑わす若者が、童話のように、現われるだろう。
その若者はトンデモナイ馬鹿者だが、プリンセスに勇気を与えるのだ。
私は年寄りだからその若者になれないのが残念だ。

言葉のない子どもたちのための絵本が欲しい

2019-04-29 22:18:11 | 童話


ほとんどの絵本は大人のために作られている。それは、絵本を買うのが大人であるからだ。絵本は、12月か1月にしか、売れない。そのとき、大人は、自分の思い込みで、本を選び、子どもにプレゼントする。

私は、言葉のない子どもたちのために、良い絵本が欲しいと思っている。言葉が遅れていても、目からはいってくるものに、反応する子がいるからだ。

私のところの子どもたちは、世界の名作童話や日本の昔話を読みたいと思っていない。王子様、お姫様なんて意味がわからない。
町の子どもたちなので、オタマジャクシやカエルを見たことがない。フクロウや子豚が出て来ても何がなんだかわからない。
新幹線や飛行機にのったことのない子どもたちもいる。

そのような子どもが興味をもつのは、電気掃除機や冷蔵庫やお鍋やお皿やご飯だ。いつもの部屋で何かが起きる、そんな絵本が欲しい。短いできごとの集まりで良い。

ごちそうやお菓子の作り方でもよい。掃除の仕方でもよい。コップの洗い方でもよい。

先日、リンゴが食べられる、というだけの、リンゴだけの絵を見せたら、言葉がでてこない子が、とてもよろこんだ。

親は物の名をやたらと幼い子どもに教える。私のところの話せない子どもたちにそんなものは必要ない。少ない語彙で良いのだ。言葉と言葉がつながって意味をなすことが大事なのだ。言葉と言葉のつながりが繰り返し、話しことばの響きの面白さが伝わることが大事なのだ。そして、怒り以外の、何かを感じる心を育てるのが大事なのだ。

本当は、親が掃除しながら、あるいは、料理しながら、子どもたちにお話をしてあげられるなら、それが一番良い。言葉がでてこない子を持った親は、いつの間にか、子どもとの会話をあきらめてしまう。

良い絵本は、失われた親子の会話を取り戻してくれる、私はそう思っている。