私は、旧約聖書『士師記』のことば「そのころ、イスラエルには王がいなかった」が好きである。『士師記』に4度も出てくる。
「王」とは、「血筋によって支配者になったもの」という意味である。
実は、ヘブライ語にもギリシア語にも「王」ということばがない。動詞「治める」の名詞形「治めるもの」が、「王」のかわりとして使われている。
日本語にも「王」も「天皇」もなかった。「王」は明らかに中国からの輸入だし、宇山卓栄によれば、「天皇」も明治になって使われだした漢語だそうだ。「天皇」は、大胆にも、中国の「皇帝」に対抗して作られた漢語らしい。
旧約聖書『サムエル記上』によれば、民が「他国のように王をもちたい」と望んで、イスラエルに王ができたという。
このとき、祭司サムエルは、神のことばとして、王はろくでもないものだ、後で泣いても遅い、と民に警告した、と『サムエル記上』にある。
そして、祭司サムエルは、ベニヤミン族のサウロの頭に油をそそぎ、初代の王とした。しかし、王サウロが、敵アマレク人の王アガグを殺さず、連れて帰ったため、祭司サムエルは、神の意志に逆らったとし、サウロに王の座を奪われると預言し、みずから、王アガグを切り殺した。
すさまじい話である。
サウロは王の座を奪われ、そして、ユダ族のダビデが、二代目のイスラエル王になる。ダビデは、敵ペリシテ人側に寝返っていた軍人である。
もっとも、長谷川修一は、旧約聖書でてくる、この統一イスラエル王国やダビデ王の話は、歴史の偽造で、存在しなかったのでは、と言っている。
バートランド・ラッセルは、『西洋哲学史』の古代篇で、ギリシアの政治体制は、王制から民主制に、民主制から民主制と僭主制との競合に移った、と言う。その転換点で殺し合いがあったという。これもすさまじい話である。
僭主制とは、強い者が支配者になり、合議制を無視することである。
ローマ帝国の皇帝は血筋ではない。王ではない。アフリカ出身の黒い肌の皇帝もいた。強い者が王になるのだが、強くなるためには、民衆の支持がいる。ローマ帝国の政治体制は、選挙の手続きが不確かな大統領制とも言える。
ヨーロッパの森の奥地では、「王」は、貴い人々からの選挙で選ばれたという。kingの語源は、「血統」らしいが、これは「貴い人々」さす。「王」の子が「王」になるのは、9世紀以降の神聖ローマ帝国に始まる。選挙を無視するのに、キリスト教の教皇が手助けした。
「天皇」が中国の「皇帝」に対抗したように、王制の歴史は、中国が明らかに古い。
しかし、中国でも、ヨーロッパでも、王朝は長く続かない。入れ替わるのだ。これは、すごく健全なことである。
人間の遺伝子は、みんなが引き継いでいる。たまたま、恵まれたひとが、「治めるもの」になるだけである。王の子が王になることに何の意味もない。血筋によらず、「治めるもの」を選び直すのが、健全である。
「万世一系」とは、選び直しが一度もないということだ。これは、日本人として-恥ずべきことである。
日本国憲法の第二条、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」は、民主制の国にあってはならない条項である。