3年前の憲法記念日5月3日、憲法学者の石川健治が朝日新聞に興味ある小論を寄稿した。
それは、植民地主義、軍国主義を清算し、復活を防ぐ「結界」こそが、戦後の平和憲法であり、憲法9条である、とするものであった。
彼が「結界」という言葉を使ったのは、キリスト教的「かおり」を避けるためであり、本当は「封印」という言葉のほうが適切かもしれない。戦後の平和憲法は、思想信条の自由を掲げ、植民地主義、軍国主義を「公(おおやけ)」の世界から「私(わたくし)」の世界に封印したわけである。
しかし、憲法9条は残る最後の「封印」であり、すでに、いくつかの「封印」は破られている、と私は思う。
戦前に植民地主義、軍国主義の先兵であった岸信介が、「占領下に成立の憲法」の廃棄を掲げて、戦後政治に復活したのが、封印の最初の解除である。「占領下に成立の憲法」の廃棄は、当時の日本人のこころの底にあったナショナリズムに訴え、植民地主義、軍国主義の復活の旗印になった。
つづいて、私の子ども時代の「総評の解体」、日教組の弱体化、国旗掲揚や国歌斉唱の強要、道徳教育の導入、大学教育への文部科学省の介入と封印が破られた。ナショナリズム、愛国主義が政府主導の形で、教育の現場に持ち込まれた。
さらに、岸信介の孫、安倍晋三によって、6年前の機密保護法、4年前の集団軍事行動を可能とする安保法制、2年前の共謀罪法、と加速的に封印が破られている。
日本国憲法9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言している。そして、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と言う。
この規定があるから、日本には「軍隊」がないのである。日本にあるのは「自衛隊」なのである。現行の憲法があるから、「自衛隊」を他国に派遣し、他国の人たちを殺すことができないのである。
最後の封印、日本国憲法9条が、武力による植民地主義、軍国主義を封印しているが故に、私も憲法改正に反対する。
しかし、日本国憲法には「天皇制」という欠陥がある。憲法2条で象徴天皇を「世襲制」と規定しているのである。憲法1条から7条は、「平等」を社会の原則とする憲法14条と矛盾する。憲法から削除すべきである。
日本国憲法14条は
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する」
と規定している。
「皇室」「世襲制の天皇」は、人間を「門地」により差別するものである。
人間としての平等が、民主制の骨幹なのだ。
「天皇制」という憲法の欠陥が、戦後73年の民主主義を壊してしまう可能性がある。