サイエンスライターの竹内薫が『自分はバカかもしれないと思ったときに読む本』(河出文庫)で、「バカがいるのではなく、バカはつくられるのだ」と言う。
もちろん、バカの定義によるだろうが、竹内薫は、学校の勉強ができないことを「バカ」と言っている。
私自身は学校の勉強なんてできる必要がないと思っている。「バカ」で結構だと思っている。
この本は、「バカ」で結構と思えず、悩んでいる人のための本である。
竹内薫は、小学生のとき親の仕事の事情で米国にいき、小学生のうちに日本に戻ってきた。そのため、二度、米国と日本とで、クラスのみんなに、そして、教師にバカと思われた。みんなにバカと思われると、自分も自分自身をバカと思うようになる。そのことを彼は「バカはつくられる」と言っている。ヒドイ話しだ。
彼が家庭教師をした子どもの場合は、漢字が読めないことで、みんなにバカだと思われていた。その子は、彼のおかげで、漢字が読めるようになり、他の教科もできるようになった。それなのに、教師はカンニングをしていると決めつけ、親も自分の子ができるようになったと信用しない。もっとヒドイ話しだ。
知ってのとおり、竹内は東大にはいり、物理学を専攻した。そして、権威にたよらず、サイエンスライターとして活躍している。いい話だ。
彼は東大にはいることで、人間は脳の機能に大差ない、と発見したのだろう。私も大差ないと思う。
アインシュタインの脳は、平均より小さめだったと言われている。だからといって、アインシュタインが日常生活に困っていた とは聞いたことがない。ちゃんと恋愛し、二度も結婚している。世界中を旅行している。おまけに、物理学でノーベル賞も、もらった。しかも、大学の研究室にはいり誰かの弟子になったこともなく、在野にいて、ひとりで、これらの論文を書いた。
だから、竹内薫も、バカはつくられるのだ、と書いたのだろう。多くの場合、たまたま環境に恵まれれば、誰でも勉強ができるようになる。
しかし、学校の勉強で競うなんて、私は意味があると思えない。心理学では、覚えることのコツは繰り返すことだという。しかし、何のために覚えるのだろうか。バカで何がわるい。漢字なんて、仮名漢字変換に任せばよい、
中学校の音楽教師が私の頭を小さいと言った。余計なお世話だ。私は、自分の脳を有効に使うことを意識している。「覚える」と、それだけ「考える」ための脳の容量が減る。だから、小さい時から、大事なことだけ覚え、あとは考えるようにしている。
人は、愛を受けいれることができ、人を愛すことができることが、一番大事だ。余力あれば、アインシュタインのように、ノーベル賞でも もらえばよい。