猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

やさしい日本語ではなく、わかりやすい日本語を

2019-11-18 22:52:41 | 教育を考える


2日前の朝日新聞に、「社内コミュニケーション 英語じゃなくて、やさしい日本語」という記事があった。外国人を含む職場でのコミュニケーションで、やさしい日本語を話そうということである。

ネットで調べてみると、今年の3月の毎日新聞も「やさしい日本語」という社説をかかげていた。また、「やさしい日本語」を話すマニュアルを公開して地方自体もいくつかある。いずれも、日本人が外国人に何か伝えようとするとき、「やさしい日本語」を使おうということである。

この「やさしい日本語」とは、じつは、「わかりやすい日本語」のことである。別に相手が外国人に限らず、コミュニケーションにおいては相手に「わかりやすい日本語」で話すのが、あたりまえと、私は思う。

なのに、これが日本社会では受け入れられず、逆に、「わかりにくく」話す人が当然の顔をし、「わからない」聞き手が責められる。
この身勝手な態度は、親や教師や雇い主が「発達障害者」に向かって話すとき、特にみられる。自分の非を認めず、相手を責める。知的なはずの精神科医も講演や著作で「発達障害者」を推察力が欠けていると ののしる。

日本人が「わかりにくい日本語」で話す理由はいろいろと考えられる。

(1)明治時代に、儒学を学んだ士族が教育にたずさわったため、特殊な書き言葉が、そのまま、話し言葉に使われるようになった。

(2)明治、大正、昭和と強権的な政府が続いたために、知識人が、仲間以外には自分の本音がわからないように、書く習慣がついた。予備校カリスマ教師の林修は、大学入試に使われる現代文の複雑さがこのためだと言う。日本の知識人が本音を隠すテクニックを知れば、現代文の読解問題をすらすらとけるのだと言う。

(3)身分社会がいまだに続いている。

では、どんな日本語を話せばよいのか。

(1)言いたいことを言い、不要なことを言わない。
(2)敬語を使わない。
(3)1つの文を短くする。
(4)同音異義が多い漢語をできるだけ使わない。
(5)否定の否定となる言い方をしない。
(6)保留を できるだけ つけない。
(7)前に言ったことを否定するような言い方を避ける。「でも」とか「しかし」とか使わないで済むよう、言いたいことを整理する。

夫婦の会話でも、たがいに誤解しないため、上の点に気をつけて話すと良いと思っている。言いたいことをはっきり言うのが良いと思う。