企業が著作権を盾に自分の買った知的財産を守ろうとすると、著作権侵害者のほうに味方したくなる。コピーしたって いいじゃないか。
しかし、作家が作品でお金持ちになるのは、夢がある。子どもたちが小説家や絵本作家やデザイナーや漫画家になって、食べていけたらと、親と共に、つい夢みてしまう。
学校の一律のお勉強でなぜ食べて行けるのか、こっちもありえない夢でないか。役人に人類に必要な知識を規定できる能力なんてあるのだろうか。日本では、教科書検定もあり、大学入試にまで役人が口出す。
役人のつくった既定の路線からはずれた子どもたちをNPOで相手していると、作業所などの福祉の枠組みを超えて、子どもたちが活躍する未来を、ついつい、夢みてしまう。
私の担当した子どもたち、もう、十分に大きくなっているのだが、小説を書いてみたり、自分の悩みを書きつづったり、ポエムを書いたり、イラストを描き続けたりしているアーティストの卵たちがいっぱいいる。
彼らも、水玉模様のアーティスト草間彌生(くさま やよい)のように認められ、お金持ちになれたら、どんなに自分の誇りを回復し、どんなに幸せになるだろう。
小説家志望の子は進学への圧力で落ち込んでいる。プロットやキャラクターが次々と思い浮かぶのだが、1,2ページ書いたところで行き詰まってしまう。まだまだ語彙が少ないし、エピソードとなる体験も足りない。これからも、あきらめないで、続けてほしい。
定期的に深いうつに落ち込み、動けない子も、自分の悩み、苦しみをずっと書きつづっている。本当ことだから、誰にも見せることができない。フィクションとして書くことを勧めているのだが、フィクションとして書くことができない。今年、20歳になる。
絵を描き続けている30過ぎの子もいる。とても、素直な子だ。独特の素朴な味がある。先日、南町田の新装開店したモールで、障害者たちの個展が開かれた。親がスマホで取った動画を見せてくれたが、手描きなので、私のところで描いているパソコン画よりずっと繊細なタッチの絵になっている。絵が売れてほしい。
パソコンを自由に使いこなして絵の作品を作っている女の子もいる。特例子会社で働いているのだが何か幸せでない。自分の思っている人生でないのだろう。この子も何か素晴らしいものを秘めている。親の応援もあってパラアートに応募している。色合いや形の把握に素晴らしいものがある。服飾の布地のデザインにも向いている。本人は漫画家になりたいと言っている。ネットでその子の連載が始まるらしい。
人生は、ほとんどの人にとって、ままならぬものだ。しかし、夢を追いつづけているかぎり、人は生きつづけられる。