猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

靴を取り上げられたセールスマンの映画『ビッグ・フィッシュ』

2019-11-25 22:37:54 | 映画のなかの思想

『ビッグ・フィッシュ』(Big Fish)は、ティム・バートン監督による2003年のアメリカ映画である。

不倫していたのではと父を疑っていた息子が、死にいく父をふたたび信頼するという物語だ。

父親が浮気をして離婚となると、子どもは非常に傷つく。NPOで私の担当の子どもにも、そういう子がいる。今年20歳になったが、まだ傷ついている。自分が父の浮気に気づいて、母親に告げ口をしたから離婚になったと思い込んでいる。自分を責めるだけでなく、セックスをとても不潔でいやらしいものように思うようになっている。

この映画の場合は、父と母は離婚していないので、息子が傷つくまではいっていないと思う。

映画での父は、息子と母を家に残して、町から町へと旅するセールスマンであった。子どものときの息子は、帰ってきた父の冒険談をワクワクしながら聞いていた。大人になった息子は、父の冒険談はみんなウソだと思うようになる。そればかりか、父は浮気をしていて家に帰ってこなかったのではと疑い出す。

映画は、父が死にかけているとの母からの連絡で、両親のもとに戻り、父の最後に立ち合い、埋葬するまでの息子を追う。

そのあいだに、とてつもなく大きい巨人とかシャム双生児の娘とか大学時代や朝鮮戦争やサーカスでの活躍とか、父のいろいろな冒険談の思い出がつぎつぎと挟まれる。その中で、一番だいじなのは、森の奥に秘密の町を発見する話だ。

森の中の大きな人食いクモから逃げると、突然、目の前が開ける。明るい陽の光のもとに町が開ける。町の入り口には、たくさんの靴がぶら下げてある。
町の名はスペクター(Spectre)という。
町のみんなは、父を歓迎して、お祭りをしてくれる。町長の幼い娘は、父に町に残ってくれるよう、靴を取り上げる。町のみんなは裸足なのだ。

YouTubeには、靴のぶら下がった町スペクターの撮影現場の跡の動画が多数投稿されている。それほど印象深いシーンなのだ。

これは、思いもかけないところで、隠れたコミュニティを偶然発見したときの喜びなのだ。私も町を放浪する趣味がある。昨年、思いもかけないところに、小さいがにぎやかな商店街を見つけた。人びとがつどっていた。もう一度訪れようと思うが、道順が思い出されない。

映画では、結局、父は町スペクターから裸足で逃げ出した。

父の冒険談には、大きくなった町長の娘と偶然再会するという、続きがある。自動車でセールスの旅に出たとき、ひどい雨にあい、気づいたら、車ごとの湖の底だった。雨があがったら、すぐそばに大人になった娘の家を発見する。

ここで父の冒険談が終わるので、息子が父の不倫を疑ったのである。両親のもとに戻った息子は、父の所有物を整理しているとき、偶然古い証書を見つけ、そこに名前の記された女性ジェニファーに会いに行く。荒れ果てた家に1人で住むジェニファーから父の冒険談の続きを聞いた。父は、大恐慌で荒れ果てた町、スペクターを再建しようとがんばる。証書はそのときのものである。

この話をジェニファーから聞いたことを転機に、息子は父を信頼する。そして、病院から逃げ出した父が、巨大ナマズに変身し湖を泳ぐ作り話を、息子は死にいく父に聞かす。

墓に埋葬する日に集まった父の友人たちが、父の冒険談にでてきた人たちにそっくりなのに、息子がこころよい幸福感を感じるところで映画は終わる。父は大げさだったが、嘘つきではなかった。家族をだましていない。
アメリカの美しい田園風景がふんだんに見られる懐かしい映画である。

脳科学の進展は 精神医学や哲学を 書き換える

2019-11-25 00:13:43 | 脳とニューロンとコンピュータ

私は、L. R. スクワイアとE. R. カンデルの『記憶のしくみ』(ブルーバックス)を読んでから、人間は記憶で動く機械である、と考えるようになった。

記憶は、神経細胞(ニューロン)の接続によって保持される。接続といっても、20ナノmくらいの隙間が空いている。炭素原子が約200個くらい並ぶくらいの隙間であるが、光学顕微鏡では見えない小さな隙間である。記憶するとは、新たな神経細胞の接続が作成されることである。

脳の機能は、興奮がこの神経細胞の接続によって伝えられることで、実現される。おのおの神経細胞は、興奮を受け取る部分と興奮を伝える部分とがあることで、興奮が一定方向に流れる。ひとつの神経細胞がもつ接続部分の数は数千個から1万個ある。だから、外側から刺激を与えると、脳全体に興奮が広がる。MRIなどで、脳のなかに興奮の広がるさまが観測できる。

すべてのヒトは、1個の受精卵として、その人生を始める。こう考えると、生まれつきの「理性」が人間にあるわけはない、との思いになる。ニーチェは、人間を約束できる動物にするのが教育の目的だと言う。

同様なことをフロムが指摘する。「良心」とは、「自分自身のなかに引き入れられた奴隷監督者」にほかならない。「良心」が命ずる願望や目的は、じつは「外部の社会的要求の内在化したもの」であるという。

豊泉太郎は『つながる脳科学 「心のしくみ」に迫る脳研究の最前線』(ブルーバックス)で、脳の神経回路網の発達に2段階あるという。最初に遺伝子の情報で自律的に神経回路網が作られ、その次に外部からの刺激(体験による学習)で神経回路網が作り上げられる。すなわち、一般的仕様(general purpose)の脳がまず形成され、その後に、環境への対応のために、学習によって記憶の神経回路網が形成される。豊泉は後の段階を「臨界期」と呼ぶ。人間はボケるまで記憶できるから、この臨界期は非常に長いと言える。臨界期にいたらないのに、無理やり記憶させることは、本人に苦痛を招くし、効率が悪い。

ネズミもネコもイヌもヒトも脳の仕組みは同じだ。ともに、大脳皮質や小脳だけでなく、海馬や扁桃体や線条体や視床や視床下部をもつ。だとすると、「こころ」があるのは人間だけではない。フロイトは、ヒトがネズミやネコやイヌと同じ構造の頭をしているのなら、人間の「こころ」も、それらとかわらないと考えた。ユングは牧師の息子だから、そんな考えが受け入れられず、「良心」や「理性」にこだわった。

カンデルは『芸術・無意識・脳 精神の深淵へ:世紀末ウィーンから現代まで』(九夏社)で、人間の情動の役割を強調する。情動は扁桃体の機能である。情動が先に結論を決め、それに屁理屈をつけたり、実現手順を考えたりするのが、大脳皮質の機能だと言う。大脳皮質も情動も、記憶で神経回路網が作成される。

フロイトは「意識」「無意識」の概念を持ち込んだ。ユングもフロムもフロイトと同じような意味に「意識」「無意識」を使う。いっぽう脳科学者が使う「意識」は脳が機能していることである。それは、脳の中に興奮が広がることである。したがって、脳科学者は「無意識」という言葉を使わず、「覚醒」「非覚醒」ということになる。

フロイトやユングやフロムのいう「意識」は、ヒトが自分自身のことに関して言葉で思い浮かべることである。言葉で思い浮かべることができないことが「無意識」となる。精神分析医は、「無意識」な思いを言葉に転換する。これを治療だする。神経症は、無意識の欲望や不安を意識が抑圧することで生じる、と考えるからだ。

すなわち、ヒトの「意志」とは言葉で表現される願望であるが、それを本人が本当にそれを望んでいるのかわからない。子どもの生理的欲求は確かに本人のものだが、大人は教育をつうじて言葉に飼いならされている。

伊藤亜紗は『どもる体』(医学書院)で、どもりを直そうとすると苦痛であるばかりか、自分が自分でないような感覚になると書いている。人間のからだは、言葉に指令されて動いているわけではない。たんに、脳の中の動作神経モジュールに興奮が伝わって、運動神経への順序だてた興奮に組変えられ、舌や唇や喉や肺の筋肉に伝えられるのだ。

言葉で ああしろ こうしろ といわれても、どもりを矯正できないのだ。

人間の脳は言葉で動いているわけではない。記憶の中には、言葉によるものがあるが、言葉によらないものほうが ずっと多いのである。また、言葉で動作を意識すると ぎこちない動きになってしまう。

聞こえる声が、自分の記憶の断片なのか、外部からの本当の声なのか、ヒトやネコやイヌは、目に見える情景との整合性によって判断する。脳の機能が弱っていると、整合性の判断ができなくなり、幻聴が起きる。統合失調症の治療では、脳が活動しすぎるとの考え方から、脳の働きを抑える薬を使用する。しかし、加藤忠史は、「陰性症状」と「陽性症状」とがあるとき、「陰性症状」が病気の本質だと言う。脳の働きが弱っていることこそ病気の本質だという。「幻聴」が抑えられるということから、脳の働きを抑える薬をだしていると、「陰性症状」が改善されず、運動神経がやられてしまう。

脳の中には色々な感覚器から興奮が脳に次々と送られてくる。それぞれの興奮が神経回路網のなかに広がり、相互に作用することで、興奮の伝達を抑えられたり、望ましい神経モジュールに興奮が伝えられる。脳の視床下部に神経細胞の興奮伝達を同期させる神経細胞がある。これが、興奮の相互作用を助けている。興奮の相互作用とは、1つの神経細胞に、異なる神経細胞から伝わり、興奮を強めあったり、弱めあったりすることでなされる。タイミングよく、興奮を受け取らないといけないから、同期が大事となる。

脳波は、同期を調整する神経細胞の動きを電圧ではかったものだ。

てんかんは、この同期調整の神経細胞の異常行動と考えられる。脳波の測定でてんかん発作の可能性が見出される。

21世紀のこの脳科学の進展で、精神医学や哲学が書き直されていく、と感じずにはいられない。