猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

共同体への憧れが排除と均質化へと落ちこまないために

2019-11-22 22:58:35 | 思想

われわれのこころのなかに、漠然とした「共同体」への憧れがある。競争のない社会、互いに助け合う社会、平等の社会への憧れである。

「共同体」は、英語のcommunityの訳、ドイツ語のgemeinschaftの訳である。「共同体」はコミュニティのことなのだが、ドイツ語が優勢な教養人のあいだでは、ゲマインシャフトのほうが好まれるようだ。辞書を見比べると面白い。

カウツキーによれば、初期の共産主義(communism)は共同体主義であったという。すべてのものの共有を唱えた。「共産」の「産」は「財産」の「産」である。

ドイツのナチズムは、国民共同体(Volksgemeinschaft)運動であった。民族共同体と訳してもよい。「共同体」の危うさがナチズムに端的に現われている。それは、排除の論理である。

私のNPOに来ていた女の子が、中2のとき「いじめ」について作文を書いた。冒頭はつぎで始まる。

「私達は、つるむ事が好きです。一人でいることがとても寂しく感じます。友達の中にいると安心するので、自分のポジションが一番下で、いじめに あったとしても、そのグループの中からは抜けられないのです。」

一見、集団が平等で助け合うように見えても、その集団から排除されないようにと各個人が意識するようになると、自由が失われ、相互監視集団となり、ちょっとしたことで、いじめが発生する。

多くの宗教団体は「信仰共同体」をつくり、それが信者を増やす原動力となるとともに、いじめ発生の要因とも なるである。

ポピュリズムを、じっぱひとからげに、大衆迎合とバカにするが、その背後に、競争に追いやられることの民衆の根深い不満があるのだ。能力がなくたって、なにが悪いのか、同じ人間ではないか。私もそう思う。問題は、現実のポピュリズムも反ポピュリズムも、だれかを排除しようとすることにある。自分たちの生活を破壊したのは「移民」だ、「ルンペン集団」だ、同質性を壊すものだ、となる。排除が起きる。じっさいには弱い者いじめをしているのにすぎない。

安倍晋三の言動も弱い者いじめをしているのだ。国家や国旗に涙する人をたたえ、戦前の日本がアジアのひとびとの解放に戦ったように言うが、真実は、アジアのひとびとに神聖天皇の崇拝を強要し、植民地、占領地に鳥居を建てたにすぎない。安倍晋三は、ムン・ジェイン大統領が気に入らないと言って、韓国を排除しようとしている。

ナチズムもユダヤ人を地上から排除(抹殺)しただけでなく、自分たちと違う考えを述べたとして、トーマス・マンなどをドイツから排除(追放)した。

共同体の憧れが、排除の肯定や均一化の強要や自由の否定におちいらないように、しないといけない。