ロシア軍のウクライナ侵攻のロシア側停戦条件に、ウクライナの「非ナチ化」がある。これについては、日本のメディアは、ウクライナ大統領がユダヤ人なのに、と一笑に付して、ロシアの真意を理解しようとしない、あるいは、議論しようとしない。
TBSテレビでも、明海大学教授の小谷哲男が「もともと、ロシアがこの戦争を始めた理由が『NATOに入らない』ということ。それから『非ナチ化』。加えてウクライナを『非武装化』する。つまり軍隊を持たせないということだったわけです」と言っているが、2番目の要求「非ナチ化」については、「つまり今のゼレンスキー政権を変えて、新ロシア派の政権をつくるということだと思いますけれども」で済ましている。
「非ナチ化」とは、政権から民族主義者や愛国主義者を排除せよということである。そして、「ロシア語」を公用語に加えて学校で教育せよということである。
この要求を理解するには、ロシアもウクライナも多民族国家であることを理解する必要がある。ロシアとウクライナだけでなく、その周辺諸国、および、バルカン諸国も多民族国家である。スラブ系諸言語といっても互いに聞いてすぐ理解できるわけではない。それに、西ローマ帝国と東ローマ帝国のはざまで、タタール人の襲撃やオスマントルコの支配や、崩壊した古代国家からの難民を引き受けていた地である。
非常に複雑な民族構成をしており、民族主義や愛国主義が地域の不安定化を起こす地域である。民族主義も愛国主義も平和を壊すやっかいな存在である。一般論で言えば、民族主義も愛国主義も過去の遺物になってほしい。
しかし、現在の状況に即して言えば、民族主義や愛国主義を排除すれば、ウクライナ国家は崩壊するだろう。ウクライナ国家は1991年に人工的に作られた多民族国家である。多数派の人たちが話すウクライナ語を国語とし、19世紀に作られたウクライナ語の歌を国歌とした。1000年も昔のキエフ太公の紋章を国章とした。
皮肉なことに、ウクライナという国家意識が芽生えたのは、国旗でも国歌でも国章でもなく、2014年のロシアのクリミア半島の併合がきっかけである。ロシアが指摘するウクライナの「民族主義」「愛国主義」はロシアが作ったものである。
いま、西側はプーチンへの個人攻撃を強めている。しかし、きょうの朝のNHK報道では、ロシアの中立系メディアの調査によると、ウクライナ侵攻前はプーチンの支持率が60%前後だったのが、3月にはいって83%になったという。西側が、プーチンの悪口を言い、経済封鎖をしても、ロシアの愛国主義を育成するだけのように見える。
ロシアはウクライナより大国だから、愛国主義や民族主義がなくても、存続していけると思う。ロシアこそが「非ナチ化」が必要なのだが、私の思いをよそになかなかそれが進まない。
この要因は、どこの国でも、国のリーダになる人が上下関係による秩序・規律が好きで、それでいて、被害者意識が強いためかもしれない。民主主義とは、国家や組織に帰属意識をもたず、上に従わず、下を従わさず、である。究極の平等を求めることである。