ギフテッド・チルドレンの3人目は中2でうつ病と診断され、薬を飲み続ける22歳の男の子である。出会ったのは、高1の秋だ。彼は自分は何者か、なぜ生きるのかを、堂々巡りに考えるところがあった。
彼の1つの問題は、他人を値踏みし、なかなか打ち解けられない。対人関係を築けないのだ。彼が私と7年近くつきあいが続き、本音を話してくれるようになったのは、不思議というか奇跡にも私は感じる。
彼には同世代の友だちと話しが通じないという悩みがある。さらに、彼には、本が読めないという、問題がある。ディスレクシアというより、読んでいるうちに、書き手の意見に承服できなくなり、そこで読み続けられなくなる。寛容さがないのである。
もっとも、自分が好きになれない本を読む価値があるかどうか、簡単には判断しにくい問題でもある。
彼が、本を読むことが嫌いになったのは、小学校高学年で読書感想文の宿題がでたからだと言う。小さいときは、絵本を読んでいたし、偉人伝が好きだったと言う。作文も絵も好きだったと言う。
いま、対人関係は以前より良くなった。まず親と会話するようになった。特に母親と会話するようになった。
彼の話を聞く限り、父と母とは文化的環境と性格が大きく異なる。文化的に異なるふたりが出逢い、恋をし、結婚したことになる。当然、摩擦が起きる。それでも、ふたりがそれを乗り越えていけば、化学反応を起こし新しい文化が生まれる。そうではなかった。ふたりは彼が高3になる春先に離婚した。父は母を教養がない享楽的で自己抑制がないと軽蔑し、母は父を柔軟性がない、頭が固いと軽蔑するようになったからだ。
彼は父を尊敬していた。そして、父がうつ病と診断されたとき、中2の彼も追うようにうつ病と診断された。
いまでも、彼は父に電話をかけて相談できる。分かり合えるところがあるようだ、
この1年、母とは、彼は毎日のように話すことができるようになった。もちろん、ときどき、母と話せなくなる。個性が違うからだ。
つぎの対人関係の成長は、1年半前に出会った3人目の精神科医を信頼したことであった。これも大きな進歩だ。
つぎは、メンタルケアで、同世代の友だちができたことだ。ただ、自分が本当に関心のあることが話せなく、表面的な付き合いだと言う。
彼は、高校にほとんど登校できなかったのにもかかわらず、レポート提出で卒業した。卒業後の進路が決断できず、無為な日々を送っていた。何もしない状態が居心地がよいというのだ。
去年、父親の勧めもあって、塾に通って、受験勉強をすることになった。母親がマンツーマンの塾を選んだ。最初は私より教え方が上手だと言っていたが、半年で担当の講師が人間味がないと嫌いになった。二人目の講師とはまずまずの関係が築けている。
親子関係以外は、相手を選べる。相手を選んで、対人関係を築ければ、それで良い。
では、私は彼の何をギフテッドだと思っているのか。論理的分析力とその再構成力である。本が読めないのに哲学ができるのだ。私は、彼には、堂々巡りの自己分析をやめて、日々起きたことを日記につけてもらっている。私の勧め通り、毎日スマホに自分の日常の出来事を入力しており、心が苦しくなるとそれを私に送ってくる。その文章の構成が優れている。自分の心の動きが客観的に分析されている。それにもかかわらず、理屈ぽっさが感じられない。日記がエッセイとしてだんだん完成度が高くなっている。
私は、日記が、手を加えて、発表できるところがあると良い、と本気で思っている。
昔は、自分のことしか関心がなかった彼が、ロシア軍のウクライナ侵攻など、外界にも関心を広げている。
私の心配は、長く薬を服用してきて、うつ病から双極性障害に変わってきていることだ。父親と同じく強迫的なところもあり、信頼している3人目の精神科医とともに彼が病気をうまくコントロールしていくことを願っている。