4月21日の朝日新聞「〈耕論〉経済安保のモヤモヤ」にもとづいて、「経済安全保障」をもう一度考えてみたい。〈耕論〉では、大河原正明、斎藤孝祐、松原実穂子の3人の論者がこの問題に異なる視点で聞き手に答えている。
斎藤は、経済安全保障を「脅威が経済的手段だった場合に、自国のもっている価値を守ろうとする」ことと定義している。「手段」と「自国」という言葉からわかるように、敵意をもった相手国がいることを前提としている。この「敵国」はどこか、彼は名指ししていないが、文脈からすると、「中国」や「韓国」などと読める。
「岸田政権が今国会で成立をめざす法案はサプライチェーン(供給網)強化、基幹インフラの事前審査、一部特許の非公開、先端技術の官民協力の4本柱」だそうだ。
斎藤は「『守り』の色彩が強いもの」というが、これを、現実の文脈で解釈すると、そうは思えない。敵国を「経済的手段」で屈服させるという攻撃性の強いものである。たとえば、数年前に。日本政府は韓国政府を屈服させるために半導体事業で必要な薬剤の輸出を止めた。
本法案は敵国を想定した攻撃と防御をおこなうために、企業の経済活動に行政府が介入するというものである。本法案が感染症の世界的流行や世界的気候異常を想定したものであれば、敵国を想定する必要がない。
経済活動に行政府が介入すると、大河原正明の心配するように、企業は行政府の恣意的運用のリスクが発生する。社長の大河原は元役員、元常務とともに、「軍事転用が可能な噴霧乾燥機を無許可で輸出した」として、2020年3月に逮捕され、11カ月拘留されたのである。翌年7月に東京地検は説明もなく不起訴とする。拘留中に元顧問は病死する。このことは、特異なことではなく、私も会社務めをしているとき、見聞きしている。日本政府の運用は恣意的なのだ。大企業は、政治家を通じて行政末端に働きかけることができるが、普通の企業にとって、運用の恣意性があるのは非常に困る。
経済安全保障で守る「自国の価値」はなんなのか。「食の安全」なら納得できる。殺虫剤まみれのアメリカの小麦粉の輸入を止めるのは理解できる。戦争でウクライナやロシアから小麦粉を輸入ができないときの代替策を用意するも理解できる。
しかし、日本の製造業の優位性を守るために、技術情報の公開に規制をかけるのは、安易すぎると思う。2000年代に日本から製造技術の流失が大規模に起きたが、バブル時の財テクの失敗の穴を埋めるために、経営者が特許を海外企業に戦略なく売ったり、熟練技術者を解雇したり、工場を海外に移転したからだ。業界で名の知られた技術者たちが韓国や中国の企業に高給で雇われているのを、私は当時目撃した。「経済安全保障」法より、日本の大企業の経営者は技術者にもっと敬意を払うべきである。
法で技術の流失を規制するのは、「経済活動の自由」に反する。大河原の指摘するように、企業は互いに競争しているから、技術のわかる経営者は、わざわざ大事な技術を外にださない。今日では、得意の技術を強化し、不得意な技術を他社からの供給で埋め合わせ、ウインウインの対等な関係のサプライチェインが形成される。昔のような子会社や上下関係の系列ではない。役人は現代の企業経営を知らないのだと思う。
「経済安全保障」法案は、人類の経済的発展にマイナスの影響しかない。政治家や官僚は本当にクズである。大企業の経営者もクズである。