石牟礼道子の言葉がおりなす世界は、とても せつなく、なにか なつかしい世界である。
私が若いとき名前だけを知っていたが、彼女の本を読んだことがなかった。年をとってから、NHKテレビで、彼女が、やさしく、人にも物にも語りかけるのを見て、それから、彼女の書いたものを読みだした。
今回、読んだのは、数年前に妻が買った『食べごしらえおままごと』(中央文庫)である。はじめに彼女がつくったお料理のしなじなのカラー写真が16ページつづく。じつに、おいしそうである。
しかし、料理のレシピ集ではない。親や祖母や叔母たちがいる子ども時代の思い出をつづったエッセイ集である。
最初のエッセイ「ぶえんずし」は、つぎで始まる。
〈貧乏、ということは、気位が高い人間のことだと思いこんでいたのは、父をみて育ったからだと、わたしは思っている。〉
彼女の父が「気位が高い」というのは威張っているのではなく、「誇り」あるいは「品位」をだいじにしているのである。彼のつぎの言葉を聞くと、私は、とても愛らしく思ってしまう。
〈「ようござりやすか。わしゃ、天領、天領天草の、ただの水のみ百姓のせがれ、位も肩書もなか、ただの水のみ百姓のせがれで、白井亀太郎という男でござりやす」〉
彼女の父は、盲目の発狂した祖母(母の親なのだが)に、ものやさしく丁寧に接したという。
「ぶえんずし」はその父の作った料理なのである。鯖のちらし寿司である。
私が育った田舎では、祭りに押し寿司をつくる。私の母親は、鰯を開いて塩をまぶし、酢で締めて、冷ました ごはんの上にのせ、押し寿司を作った。私は母のつくった鰯の押し寿司が大好きだった。
エッセイ「七夕ずし」は、大きな笹竹に短冊や飾りをつけ、家の前に立てるという、話しである。笹竹を立てるに、男衆3人がかりだというから、かなり大きい笹竹だ。昔の家並みの一軒一軒にそれが立つのだ。1週間ぐらいお祭りをしたあと、その笹竹は、枝葉をとり、布団を干すための竹竿に変身するのだ。
道路がまだ舗装されていない時代の家並みが思い浮かぶ。
この笹竹に飾りつけするときの、年増の女衆が若い男をからかうときのやりとりが、じつに色っぽい。飾られた笹竹をたてたあと 食べるのが、「七夕ずし」である。
もっとも、私の家は七夕をしなかった。それだけでなく、季節の祝い事は、お正月の おせち と ぞう煮 以外しなかった。