(J K ガルブレイス)
きのうの朝日新聞に、小野善康のインタビュー記事『成熟社会の資本主義』がのっていた。この人は、「棚からボタ餅」のように突然首相になった民主党の菅直人(かん・なおと)の知恵袋かのようにメディアに出てきたひとである。菅直人が消費税引き上げを突然言い出して、民主党内に混乱を招き、首相を辞任すると、知らんぷりをした、という印象を私はもっている。単なる菅直人の一方的な思いだったか、どうかは、私にはわからない。
小野善康はマクロ経済学者に属する。国の経済政策を論ずるのがマクロで、自由市場での企業の経済活動を論ずるのがミクロである。
インタビューで彼は、バブルが破裂した後に生じた日本の長期不況は、これまでの景気のサイクルと違い、日本社会の経済的成熟によって生じたものであると主張している。彼の『成熟社会の経済学 ―― 長期不況をどう克服するか ―― 』(岩波新書、2012年1月20日)と基本的に同じ主張である。成熟社会にあった経済政策をとらない日本の政治が悪いということになる。
不景気は、商品の生産力(供給力)が需要をうわまわったときに生じる。資本主義社会はみんなが争って金儲けをする社会である。商品を生産することで金儲けをしているから、生産力は需要をうわまわりがちである。不景気になると競争力がない非効率的企業はつぶれる。そして、生産力と需要とのバランスが戻り、また、一生懸命生産すれば金儲けができるようになる。これが景気サイクルのモデルである。
そうなら、需要を増やしてやれば、不況を避けることができるはずとなる。少なくともパニックを起こすような大不況(恐慌)を避けれるはずだ、となる。それがマクロ経済理論が構築された背景である。
小野はインタビューで、需要をお金の使い道と考え、個人がお金をいま商品を買うために使うか、将来のためにとっておくかを、「資産選好」と呼ぶ。ケインズが「流動性志向」と呼んでいたものである。「資産選好」が多くなれば、「需要」が伸びない。
ここで、私が疑問なのはインタビューでなぜ「資産選好」になるかの議論がないのかである。今日の朝日新聞夕刊の一面につぎの記事があった。
〈節約しないと 2019年、金融庁審議会が「老後の生活費として2千万円の蓄えが必要」と資産形成を呼びかける報告書を出し、波紋を呼んだことが、節約のきっかけの1つ。その額がたまるまでは、続けるつもりだ。〉
政府が個人の将来への不安を煽っておいて、資産選好に導こうという矛盾が議論されていない。
また、日本の特殊事情が議論されていない。日本で1980年代後半にバブルが生じたのも、日本のカネあまりの金融政策による。すなわち、日本政府は、戦後ずっと、需要を米国への輸出によって掘り起こしてきた。1980年代の日米経済摩擦でアメリカ政府に逆らえない日本政府は、金融緩和によって需要を引き起こそうとした。が、お金が消費財の商品を買うのではなく、金融商品と土地に向かってバブルが生じ、1990年に破裂した。
したがって、少なくとも、需要を消費財、生産財と分けて議論しなければならない。また、公共財の議論や、金融緩和策の失敗の理由、分配の格差がどうして広がったのかの議論も必要である。
インタビューで特に避けられているのは、「私的所有(私有財産)」の問題への踏み込みである。「公的所有(公共財)」による需要はまだまだ増えるはずである。J K ガルブレイスは『ゆたかな社会 決定版』(岩波現代文庫)で、個人の需要はゆたかな社会ではそんなにふえるものではないが、アメリカ社会では図書館などの公共財が不足していると指摘している。日本でも同じで、公共施設を作って土建屋を儲けさせることまでを自民党は考えるが、公共施設を管理し役立てることまでは誰も考えていない。
また、小野善康がインタビューでつぎのように言っていることには、私は同意できない。
〈社会主義は歴史を見れば一人か少数の権力者が絶対的に君臨し、恣意的に介入しがちです。〉
社会主義と国家主義との混同がある。「社会主義」とは「私的所有」より「公的所有」を重視することである。この「公」は「国」ではなく、「人びと」であって、例えば、企業の生産設備がオーナーのものか、そこで働く人びとや、利用する人びとのものかという問題である。分配の問題もそこに絡んでくる。「公的所有」のあり方に踏み込んで議論する必要がある。