3月28日の朝日新聞に、『天皇「脱出の権利」改めて考える』という、塩倉裕の署名記事が載った。
憲法学者の奥平康弘、憲法学者の長谷部恭男、社会学者の橋爪大三郎の言葉を引いての記事である。天皇の「脱出の権利」とは、天皇が天皇であることを拒否する権利で、奥平が生前 提起した問題である。天皇であることが嫌でも天皇であり続けないといけないのか、なぜ、自分の意志が尊重されないのか、ということである。
私が子どものとき、聞いた話であるが、昔々、王様は、国民の象徴で、若くて元気でいるときは、きれいな服を着せられ、早く子どもを作れと女を押しつけられ、みんなに見られてセックスをし、年老いて汚くなると、不吉だと言われ、国民によって、みんなの目の前で殺され、代替わりをさせられた、という。
どこで聞いたのか、どの本で読んだかわからないが、昔々の国民の象徴たる王様は、人間としての権利が認められないという話である。
もしかしたら、手塚治虫のマンガであったかもしれない。
天皇になりたくない、天皇でありたくない、という自分の意志が認められない、象徴天皇制は、私の子どものときに聞いた、国民の象徴たる王様と変わらない。
天皇に姓(苗字)がなく、住むところも限定され、仕事の自由がない、遊びにも行けない、選挙権もないのは、人間であることを否定されていることだ。
今上天皇、明仁は、退位にあたって健康の問題を口にしたが、象徴天皇制そのものがおかしい、と、なぜ言わなかったのか。天皇家にまつわる私的行事を国家的儀式に変質されていることに、不安を感じないのか。現代の王党派(尊皇派)に、政治的陰謀を感じないのか。
これからは、橋爪の言うように、日本も共和制に移行し、天皇家も国家から切り離され、姓をもち、天皇家に属する、皇室の面々に、ふつうの一個人になってもらうのが一番良い選択だと思う。もし、過去の伝統を誇りたいなら、人に迷惑のかからない形で、夜な夜な白装束の儀式を個人的にしても差し支えない。
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