猫じじいのブログ

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日中戦争と太平洋戦争の責任。5年前の3月15日と8月12日のブログから

2020-08-12 18:24:44 | 戦争を考える
 
2015年3月15日: 村山談話で十分、安倍首相の70年談話はいらない
 
敗戦50年の村山談話が最良のものだと思わないが、今年の夏に安倍首相が70年談話を出して「寝た子を起こす」のではないかと不安になる。「寝た子を起こす」というより、安倍首相が「魔物の封印」を開けてしまうのではないかと不安をいだく。
 
昨年の終戦記念日に全国戦没者追悼式で、安倍首相は、「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」と言った。
同じ追悼式で、天皇陛下は、「終戦以来すでに69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」と言った。
 
戦後の平和と繁栄に対する天皇陛下と安倍晋三との理解は大きく異なる。天皇陛下は、戦後の国民の努力によって現在の日本の平和と繁栄が築かれた、と理解するのに対し、安倍晋三は、戦争によって、人が死ぬことによって、現在の日本の平和と繁栄が築かれた、と理解する。安倍晋三は、日本の武装化、軍国化こそが日本の繁栄と平和の礎と考えるからだ。
 
安倍晋三だけでなく、日米戦争の美化の思いが小泉純一郎の終戦60年談話の中にも見える。
 
「私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります」。
 
小泉純一郎の「二度と我が国が戦争への道を歩んではならない」には注意がいる。同じ談話の中で小泉純一郎は「ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました」と言う。国連平和維持活動や米国のイラク戦争の後方支援に自衛隊を派遣することは許されるという、小泉純一郎の考えが入り込んでいる。安倍晋三の「積極的平和主義」は、この小泉談話にヒントを得ている。
 
村山談話は、小泉談話より、ずっと良くできている。
村山談話は、村山富市の思いを受けて、当時の外務省官僚のトップが起草したものだという。最初の原稿には、「敗戦」と「終戦」の二つの語が混在していたが、橋本龍太郎(元自民党総裁)の意見を受けて、「敗戦」に統一した、と村山富市が3月9日のBSプライムニュースで語っていた。
 
村山談話では、「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と言い、その反省に立って、次のように提言する。
 
 (1) 戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていく。
 (2) 近隣諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていく。そのために、政府は、近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかる。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、ひき続き誠実に対応する。
 (3) 独善的なナショナリズムを排し、国際協調を促進し、平和の理念と民主主義とを押し広める。
 (4) 核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進する。
 
戦後の日本の繁栄は、植民地が不要だということを示している。隣国と貿易をし、互いに繁栄することができる。植民地を失った戦後の日本の繁栄と平和は、戦前の国策である、富国強兵、朝鮮・満州の植民化政策、中国大陸への出兵、東南アジアへの戦線拡大が誤りだったことを示している。
 
村山談話には不十分な点もあるかしれないが、それより劣化した70年談話を安倍首相が出して、わざわざ「寝た子を起こす」ことはないと私は思う。
 
2015年8月12日:      BSプライムニュースの奇怪なゲストたち、70年談話の前に
 
昨日、8月11日のBSフジのプライムニュースは、異様な、あるいは妖怪な、あるいは少し心を病んでいるようなゲストたちを招いて行われた。
 
BSフジのサイトによれば、ゲストは衆議院議員で自由民主党政務調査会長の稲田朋美、現代史家の秦郁彦、評論家の佐藤健志である。この奇怪なゲスト選択になったのは、自民党が議員のテレビ出演を止めている中、政務調査会長の稲田朋美が出演するための条件だったのかもしれない。しかし、おかげで、3人の、なごやかな雰囲気での、本音が聞かれたのかもしれない。
 
キャスターの反町の問い「安倍首相の70年談話は何のために誰に向かって行うのか」、「もし、アメリカに向かって開戦しなければどうなったのか」に対して、ゲスト3人はまともに答えていなかった。3人とも、被害者意識にとらわれ、もう「お詫び」しなくてもよいという趣旨のことだけを述べていた。
 
49歳の佐藤健志は、「有色人種」、「欧米列強」という古色懐かしい言葉を使い、「負け組の日本が勝ち組に参加することで、アメリカの価値観で歴史を認識するパラドックスに陥っている」と言っていた。また、「靖国神社は戦前の日本の正義を象徴する」、「敵側が行った東京裁判が正義であるかは疑問である」、「簡単に謝罪することは逆に誠実さを疑わせる」とも言った。
 
83歳の秦郁彦は、「戦後70年の総括は、独裁国でないのだから、一人一人異なっていいのではないか」、「天皇制が存続し、日本人のほとんどは東京裁判に満足した。日本が裁いていれば、下っ端に責任を押しつけて終わっていただろう」、「今の天皇の言葉、〈満州事変が戦争の起点だ〉ということは、弁明の余地がない事実だ」、「今更、お詫びする必要はない、特に植民地支配にお詫びする必要はない。植民地支配にお詫びする国は世界中のどこにもない。だから、韓国にお詫びする必要はない」と言っていた。
 
56歳の稲田朋美は、「講和条約で日本が東京裁判受け入れたので、それ自体を争うことはしないが、事後法で裁くのは不当だと思っている」、「侵略と言う言葉や歴史認識に色々な意見があることだから、70年談話に『侵略』という言葉をいれるかどうかは問題ではない」、「戦争で、240万の軍人が死に、80万の民間人が死に、国土が戦前の領土の45%になり、過酷な賠償を払ったのだから、ずっと謝りつづけるのはおかしい」、「民主主義はアメリカに教えられたものではない。日本は国際的に道義を発していけばよい」と言っていた。
 
3人に共通するのは自分たちは被害者だという強烈な自己意識で、アメリカに対して劣等コンプレックスに満ちあふれ、非常に屈折した言い方をしている。
 
キャスターの反町の問い「安倍首相の70年談話は何のために誰に向かって行うのか」に3人が答えられないのは、日本の敗戦に対して、いまだに、自我の感情的な混乱の中にいて、国際政治の一貫として談話を位置付けることができないからだろう。
 
反町のもう一つの問い「もし、アメリカに向かって開戦しなければどうなったのか」に対しては、秦郁彦は「追い込まれて成り行き上、開戦した」という答え方に終始していた。アメリカから要求されていたのは、中国からの撤退だけで、それを飲んでも日本は何も困ることがない。開戦しなければ、他国の人を大量に殺すこともなく、また日本国民が殺されることもなく、日本国内の産業施設も破壊されずに、第二次世界大戦の戦後を優位な立場で迎えることができただろう。
 
稲田朋美は、開戦をしなくても良かったは結果論だというが、村山談話の言うように、「未来に誤ち無からしめんとするが故に」、国策のどこに誤りがあったのか、どうしてそうなったのか、どうすれば誤りを避けられたのか、の論議を尽くす必要がある。


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