きょう、久しぶりに悪夢を見た。悪夢とは、強い不安や恐怖を引き起こす夢である。不安や恐怖といった情動を伴った記憶の断片をつなぎ合わせて、外の世界からの入力もないのに、理性的な制御も受けなく、想像を膨らませ、誇張された再体験を脳がするのだ。
夢は別に予見ではない。また、深層心理を象徴しているという大げさなものでもない。誇張された記憶の断片の再体験である。
大きくなって私が悪夢をあまり見なくなったのは、夢を見ていて夢だと気づいたとき、途中からストーリー展開を変えることができるようになったからである。こんなはずはない、夢だ、どうせ夢見るなら、楽しい夢を見ようと、念ずるようになったからだ。そして、本当に、夢を変えることができるようになった。
子どもの時代の悪夢に、大火事や大洪水がある。
町が火事で、あちらが燃え、こちらが燃え、逃げ惑うのである。じつは、私は火事を見るのが好きだった。町の東本願寺が燃えて焼け落ちるときは、自転車にのって見に行った。また、大通りを挟んで向かいの家が燃えたときも、火の粉が飛んでくるのをきれいだなと思って眺めていた。
本当の火事の記憶と 母から聞いた空襲の記憶とが結びついて、悪夢を作っていたのだろう。
洪水も逃げ惑う夢で、どんどん、あたりが水につかっていく。この場合も、じつは、台風が来て大雨が降ると、川の氾濫を見たくて わざわざ川まで行っていた。
それから、鬼やゾンビやドラキュラの夢がある。やはり、逃げ惑う夢である。5歳上の兄と争って逃げ回っていた記憶がつながったのかもしれない。小さいときの夢では、家の中の押し入れや天井に隠れるシーンが出てくる。大きくなると舞台がビルや町や山になる。また追うものに警察官などの人間たちが加わった。
山から下りるとき、急に傾斜がきつくなって、道もなくなり、どう降りたら良いかわからなくなる悪夢も見ることがある。きょう見た悪夢の1つはそれである。
小学校に入る前に、兄やその友達と神社の石碑の上によじのぼって降りるときに、足を滑らせて頭から落ち、額から血がドバっと流れたことがある。小さいときだから、すごく高く大きな石碑だったように記憶している。これと、小学校高学年からの山登りの記憶と結び付いたのだろう。
大人になってから見る夢には、飛行機に乗り遅れたり、飛行機が今にも落ちそうに低空飛行したりする悪夢が加わった。会社に務めて、飛行機に乗る機会が増えたからである。
さらに、就職できないで肩身が狭い思いをして、弁解している夢も見るようになった。
博士号をとって、大学院を修了したとき、教授の紹介する職を断って、ドイツ政府の奨学金の面接を受け失敗した。ドイツ語の面接で、kleinなものを研究しているのですね、とドイツ大使館員に言われ、何も答えられなかったからだ。
私自身は、帰属先がなくブラブラしているのが嫌いでなかったのだが、結婚していたから、稼がなくちゃいけないと思い、予備校の職についた。それからしばらくして、子どもができたとき、研究に専念したくなって、カナダのポストドクターの仕事にありついた。4年目に雇い主の大学教授に日本に戻ったらと言われ、外資系の会社に就職した。
就職できないでウロウロしている悪夢は、なぜか、就職してだいぶたってからである。この悪夢は膨らんできて、再度、ポストドクターでアメリカに渡っているとか、大学に入り直しているとかして、それが、うまくいっていないというストーリーに発展した。
会社を辞めてから、悪夢はまた増えた。定年で辞めたはずなのに、会社でまだ働いている夢である。引退したので社員証がなく、だれか自分を知っている人がいないと建物の中に入れないという夢である。不安というより屈辱感かもしれない。
きょうの高いところから降りられないという夢は、うまく切り抜けられた。私は、スーパーマンのように、まわりの木を引き抜いて、杖のようにして、無事、下に降りられた。
つづいて見たきょうの夢は、大学に入り直したバージョンである。私は、大学に入り直したが、なぜか授業に全然出てない。授業科目も校舎も子どものときの中学校に似ている。急に、単位取得のテストに自信がなくなり、追い詰められたところで目が覚めた。
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