NHKテレビで3歳までの体験を通して愛着のこころができるといっていた。私は本当だと思うが、そうだとすると、いっぽうで難しい問題を生む。生まれてきた人間にとって、人間はどんな環境に生まれるか、まったくの偶然である。選ぶことができない。生まれた環境がこころをつくるということは、その呪縛から抜け出るに、大変な努力を本人にも周りの人にも要するからである。
私がNPOで担当している子どもは、21歳になるのだが、生まれたときに体に問題があり、親と離されて病院に入院つづけた。母親は、その後に生んだ弟と比べて、自然な愛情をもって自分が接することができないことを、非常に悩んでいる。その子の服装を見るかぎり、母親はとても気を使って、いつも最良のおしゃれなものを着せているのだが。
母親がとくに罪意識にとらわれるのは、その子は周りの子とうまくやっていけないからだ。
小学校のときは大変で、学校側は来たら困るというような対応をした。その結果か、その子は学校の授業についていけなくなった。私の見立てでは、知的能力に障害があるとは思えない。暴力的でもない。しかし、ものごとにこだわり、人の気持ちを推察できず、同年代の子どもたちとうまくやっていけない。したがって、一見、発達障害児のようである。その子は私の言うことは聞かず、しつこく、自分の思いをとおそうとする。
私の兄も生まれる前に、父が赤紙で戦地にかりだされ、中国から父が帰還できたのは、戦争が終了して、1年後である。そのとき、兄は4歳近くになっていた。父は、兄に自然な愛情をもてなかったと私にいう。兄には、長男であることもあり、お金の許す限り何でも買い与えた。兄は端午の節句の人形をもっていた。いっぽうで、厳しくそだててしまったと父は後悔していた。
その反動で私は両親の愛を一身に受けた。私はお小遣いをもらったことはない。そのためか、買い食いする習性はない。自分で自由に物を買うのは、東京の大学にでてきて寮生活をはじめてからだ。だが、子ども時代、私は、両親のそばにいて、いっぱい甘えた。
兄はうまく甘えることができず、ときどき、癇癪を起していた。たとえば、自分のお弁当のおかずがいつも高野豆腐で、私のお弁当のおかずが目玉焼きや肉のキャベツ巻きである、と怒るのである。これこれを食べたいと言えば良いだけであるのに。
また、自分の結婚式でも、当日になって、袴を着たくないと癇癪を起した。はじめに、自分がこんな結婚式をやりたいと言えばよいだけである。
いっぽう、兄は、人を率いて、リーダになろうとする性格で、一般には、世間づきあいが上手であると思われていた。
問題は、兄が結婚して家族をもってから起きた。パートナーとうまくやっていけなかった。兄の娘の話では、抱きしめてもらったことがないという。外との付き合いはできるが、内の付き合いができないのである。
愛着の問題は難しい。その呪縛から抜け出るには、大変な努力を本人にも周りの人にも要するからである。
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