きょう、5月14日の朝日新聞の《耕論》は、いずれも、「知財立国」という考えを肯定する立場の論客ばかりだ。
「知財立国」とは、国が「知的財産権」を利用して働かずして金を儲けるということを言っている。注意深い人なら、儲かるのは、「国」でなく「企業」だと気づくだろう。
知識の「所有権」を「企業」が主張して金儲けをすることに、疑問をもたない論客ばかりなのに、納得がいかない。
「知財立国」は、決して、「文化立国」のことではない。「知財立国」に反対する論客がでてきてしかるべきだ。
ギリシア哲学者の八木雄二だったと思うが、知識とは共有できるものであり、共有すべきだ、と、どこかでいっていた。だれかに知識を伝達することで、知識がすり減るものでない。
ところが、「知的財産権」とは、対価を払わずにその知識を利用してはいけないということである。
「知的財産権」で過去に起きた悲劇に、エイズの薬が特許で守られ、アフリカの人々が高価な薬を買えず、エイズで大量に死んでいったということがある。
薬の販売が認可されるには、薬の成分を開示しなければならない。薬の成分がわかれば、どの企業でも、安く作ることができる。薬は少量で効果があるから、生産工ストは、とても安くなるからだ。高価な薬になるのは、特許をたてに、他の企業に製造を許さず、特許所有の企業が独占的に薬を販売できるからである。売り手優位の値段になる。
特許の目的は、機械や薬を開発した個人への「ほうび」だ、と考えている素朴な人たちがいる。これは、嘘だ。現実的には、特許の権利を企業が所有し、苦労して発明した人のモノではない。だからこそ、発明者が企業を訴訟する。
青色ダイオードの発明者でノーベル賞受賞者の中村修二は、日亜化学工業を訴えた。免疫治療薬「オプジーボ」の発明者でノーベル賞受賞者の本庶佑は、小野薬品を訴えた。フラッシュメモリの発明者で紫綬褒章、瑞宝重光章の舛岡富士雄は、東芝を訴えた。
私が子どものとき、グラハム・ベルの伝記を読んで、電話を発明した偉い人と思ったが、私は大人になって、彼がやり手のビジネスマンで、特許を買いあさり、独占企業AT&Tを作り上げた人であることを知った。
資本主義社会はお金がお金を生む社会である。お金がお金を生むためには、所有権という考えが基本になる。これで、お金がお金を生むことが正当化されるのである。知識をお金で買えば、知的財産権によって、この知識がお金を生むのである。
似たようなモノに著作権がある。これは、歴史的には、小説家の地位向上を理由にしたものだった。ところが、これも、現在では、企業が金儲けをするためのものになっている。
著作権の対象は、芸術的なものだけでなく、手間をかけて作成されたが複製が容易な知識全般、たとえば、データベースやプログラムなどを含む。そして、企業に所有権が移ると、60年間、企業は著作権で独占的に金儲けができる。
20世紀の後半に、いろいろな学会が論文誌の発行を民間の出版社に委託した。そのとき、投稿者が出版社に無料で著作権を譲る契約を、ほとんどの学会が、出版社と結んだ。これが、今になって、困る事態を生んでいる。大学や研究所は、研究者が古い論文を電子的に読めるようにしたい。ところが、著作権法のために、論文誌を勝手に電子化することが許されない。出版社は電子的複製に高価な対価を要求する。論文を書いた人には著作権がない。
知的財産権は、知識が公共財産だという考えを否定している。せめて、発明した本人だけに、著作した(プログラムを書いた)本人だけに、知的財産権を認めるように、すべきではないか。企業に所有権を認めることは、知識の公共性と矛盾するではないか。
かように、「知財立国」とは、いかがわしいものである。
ところが、さらに悪いことに、今、トランプ大統領は、中国が知的財産権を侵害していると言い、中国からの輸入物に最大関税25%をかけようとしている。これに、日本から、非難の声が起きないのがとてもおかしい。
現行の法では、知的財産権の所有者は企業だから、知的財産権が侵害されたなら、企業がアメリカの裁判所に訴えれば良い。現在の法律の枠内で、アメリカ国内での販売を差し止めることができるし、損害賠償金を請求できる。
ところが、個別の知的財産権侵害を企業に任せず、具体的立証もせず、トランプ政権は恫喝して中国政府の言質をとろうとしている。
これは、単に次期の大統領選のためのパフォーマンスにすぎない。法で個別に解決できることに、政府がのりだすことは、自由経済を破壊することになる。新聞やテレビは、トランプ政権のルール破りを怒らないといけない。
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