猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

彼女が描いた まばゆいばかりに明るい三匹の鯉の滝登り

2021-10-10 22:16:10 | こころ

きょう、NPO理事長宅で、ひさしぶりに、昔、担当していた女の子に会った。すっかり女らしい体つきになったので、会ったとき、私は言葉がぽつりぽつりとしか出てこなかった。NPOで困り感のある子どもたちに接して、生きる元気を与えてきたが、老いのせいもあり、きょうは、言葉が滑らかにでてこなかった。

子どものとき、精神的にあるいは知的に問題を抱えた子は大人になっても、ときどき、誰かの支えが必要になる。NPOの理事長夫妻は、月に2度、日曜日に自宅を解放して、大人になった子どもたちに居場所を作っている。

会う前に理事長夫妻からその子の困り感を聴いていた。単なるうつではない。

その子は家から出てグループホームにはいっている。知っている子がそのグループホームにいるから、そこに はいったとのことだが、そんなに話しは していないようだ。特別支援学校高等部を卒業して、特例子会社で働いている。母親はちょっと厳しい人で、自立を強く求めている。居場所がない。だから、月の2度、日曜日に理事長宅にやってくる。

理事長夫妻から話を聞くと、伴侶を求める年ごろになったようだ。私は、それを、人間として自然なことだと思う。彼女の場合、どうも、男にしつこくまとわりつかれると、心が不安定となるようだ。自分が思っているような男にまとわりつかれないと、心が壊れ始めるのだ。そして、自分の思っているような男には、まとわりつかれることがない。

うーん、これはむずかしい。良い伴侶を見つけることは、だれにとってもむずかしい。

私は、その子にエッセイや絵を描くことを、昔、指導した。とても繊細で感受性にみちた文章を書く。絵もそうだ。外に関心がない。自分の心のなかの、ちょっとした、さざ波を描くことができるが、写生が好きでない。

本人は、描けなくなったと訴える。以前にパラアートなどに入選していたが、今年は、入選できないという。昔から、パソコンで直接絵を書くので、描いた絵をスマホ画面で見せてもらった。

それは鯉の滝登りである。白、赤、黒の3匹の鯉が滝を登っている。滝の勢いよく落ちる水は、まぶしいほど輝いている。生きている魚の肌のもつ ぬめり感が伝わってくる。青を基調にしているが、絵は底抜けに明るい。画力は昔より上がっている。

ただ、鯉の目が大きい。本当の魚の目は小さいのだ。鯉は濁った水のなかに住んでいるから目が小さい。ひげで世界を感じている。彼女は頭のなかで想像した鯉を書くから、目が大きくなる。リアリティを求める審査委員には好かれないだろう。障害者は暗い絵を描くと決めている審査委員には好かれないだろう。

人は人を求める。自分を分かってほしい。自分だけを愛して欲しい。自然な欲求だが、とても わがままな欲求でもある。対等な関係なら、相手のことを分かってあげないといけない。相手を愛さないといけない。

対等な関係を持てるようになるまで、すれ違いが起こるだろう。私の兄の娘は、恋に落ちることなく結婚して、子どもができて、別居して、離婚を請求されて、いま、生活が困難になっている。

自分自身に自信をもってほしくて、彼女に文章や絵を描くことを勧めたが、いま、審査委員の評価に傷ついている。良い伴侶を求めることは、時間がかかる。そのために、自分を支える文章や絵の趣味を勧めたのだが、欲が出て、他人の評価求める罠に落ち込んだようだ。それもありうることだ。

こういうときに、気の利いた言葉が、出てこなかった自分に納得がいっていない。私は歳をとりすぎたようだ。



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