猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

18世紀のワクチン接種論争

2021-07-29 22:37:53 | 新型コロナウイルス

今日の朝日新聞の文化蘭に面白い寄稿があった。隠岐さや香の『18世紀の予防接種論争』である。

予防接種とはワクチンのことである。隠岐さや香はつぎのように書く。

《18世紀のフランスでも予防接種論争があった。当時は天然痘の予防接種が試されつつあったが、致死率の高い危険なものだった(低く見積もっても200人に1人は死亡)。学者が賛成派と反対派に分かれて争った。》

昔のワクチンがこんなに危険なものとは知らなかった。

《賛成派には、統計モデルを用いて長期的にみて死者がどのくらい減るかを論じるものが現れた。》

「長期的」の意味は、短期的にみれば、健康な人がワクチンを受けるメリットがないということである。いま健康な人が、なぜワクチンを受けて200分の1の確率で死なないといけないのか、という問題があるのに、「統計」「長期的」にみれば、メリットがあると言ったのである。

これに対して反対派のダランベールがつぎのようにいった。

《「接種は国家にとって国民の人口の分だけ試せる賭けだが、個人にとっては1回しか試せない賭けである。何が起きるかが心配なのは非合理的な反応とは言えず、無理強いはできない」》

今も昔も、統治者の立場からすると、個々の人の命はどうでも良いのである。ダランベールは、統治される側に立って、反論したのだ。

なお、ダランベールは当時の数理物理のフランスの第1人者だが、古典解析力学のなかに名を残すだけで、科学史家以外、今では忘れられた人である。

それでも、ダランベールは、とってもまともなことを言ったのだ。

この寄稿はつぎで終わる。

《なお、フランスでは若き国王ルイ16世が学者の説得に従い接種を受け、高熱に苦しんだ。》

菅義偉は、「GOTOキャンペーン」「安全安心オリンピック」といって、「人流」を煽って、いま、史上最多の新型コロナ感染拡大を迎えている。その責任追及をのがれるために、新型コロナがたいした病気ではない、ワクチンがある、治療薬がある、と言いまくっている。ワクチンの安全性はこれから検証されるものである。治療薬も、入院を要しないインフルエンザの治療薬と異なり、入院して点滴で投薬されるものである。

政府は「安全安心」を言うのではなく、いまなお、感染の危険をいうべきである。きのうのTBS『報道19:30』で、コメンテーターの堤伸輔は「たしかに65歳以上の感染率は減っているが、その絶対数は増加している」と指摘した。65歳上の何パーセントがワクチン接種がすすんだか、自治体の自己申告であり、本当のことはわからない。たぶん、ワクチン不足とワクチン不信のこともあり、諸外国と同じく70%以上は進まないだろう。

[補遺]

天然痘ワクチンの確立者、エドワード・ジェンナーについて、ウィキペディア参照して書き記そう。

彼が8歳の子どもに、牛の天然痘(牛痘)を接種して、天然痘の予防効果があると示したのは、1796年である。上の18世紀の接種論争の半世紀前である。ジェンナーの開発したワクチンは安全であったのである。安全なワクチンを開発すれば良いのである。

私の子ども時代のジェンナーの伝記では自分の子どもに接種したとなっているが、ウソで、使用人の子どもを実験台に使ったのである。偉人伝は作家の作り話であることが多い。

さらに、ジェンナーの牛痘によるワクチンは、20世紀になって牛の天然痘ではないことがわかった。21世紀になって、遺伝子解析から馬のかかる天然痘のウイルスであることがわかった。ワクチンの難しさである。

 

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