猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

安倍晋三の気持ちがわかるが、新型コロナに経済対策はオカシイ、緊急事態には経済冬眠だ

2020-04-17 21:17:11 | 新型コロナウイルス


きょう、4月17日に18時から、4月7日の新型コロナ感染対策緊急事態宣言につづいて、その全国展開の安倍晋三の会見があった。

前回は、新型コロナ感染対策の前線に立つ医療従事者に対する感謝で始まった。今回は、この外出自粛のなかで、インフラや物流の維持、食料や物資の生産の現場に働いている人たちへの感謝で始まった。

私も、スーパーの棚に食料品がちゃんとあること、毎日ごみが集められること、水道も電気もガスも使えることに、感謝している。

しかし、その後の安倍の話についていけず、眠ってしまった。経済対策の話しは、単に政争や選挙対策にすぎない。

情緒的な安倍には、緊急事態対応は無理ではないか。だいたい会見の前に演壇にあがるとき、日の丸に一礼していたが、これは優等生のいい子ちゃんがやることではないか。日の丸や神や仏に祈っても、新型コロナ感染の流行を抑えられない。

経済対策は新型コロナ流行の収束期に行なうものである。もっとやるべきことがある。

政府は、医療従事者に感謝するだけでなく、医療従事者が必要としている、マスクやガウンやフェースシールドなどの防具を供給しないといけない。また、院内感染を未然に防ぐために、入所患者や医療従事者のPCR検査ができるようにしないといけない。医療従事者への危険手当も必要である。

外出自粛時にも、インフラや物流の維持、食料や物資の生産の現場に働いている人たちがいる。厚労省が健康管理の通達を出せば良いものではない。健康管理が行われるよう、事業主への監督だけでなく、従業員の健康相談を政府が直接うけ、PCR検査の便宜を図らないといけない。

保健所が電話相談でパンクしているが、こんなもの、民間のコールセンターで行えばよい。電話相談は同じような相談が多い。コールセンター業は、電話相談内容をすみやかに共有するノウハウとシステムがある。目の前のパソコン画面には、頻度の高い相談が表示されており、それを選択すれば模範解答が表示される。相談内容が専門的な知識を要するものであれば、対応できる人に電話を代わればよい。

コールセンター方式では、東京からの相談に、岩手や鹿児島から答えたっていいのだ。

いま、必要なのは、一般的な経済対策ではなく、経済を冬眠させるための休業補償であり、失業対策である。感染症大流行時に経済対策を行っても効果がない。求められているのは、経済を冬眠させて、大流行がおさまるのを待つことである。このとき、人びとが死んでしまっては、経済回復どころでなくなる。そのためには、収入がなくなった人に生きる最低限のお金を与えることである。冬眠状態に持ち込むべき業種の事業者にも休業補償が必要である。家賃を肩代わりするのでも良い。

残念ながら、安倍のまわりには、欲深い、ごますりのバカしかいないように見える。

コロナのもたらした行動変容、テレワークの意味するものは

2020-04-16 23:19:49 | 童話
 
現在、新型コロナ感染の流行で、「行動の変容」が言われている。「行動の変容」で、どのような社会変化が期待されているのか。働き方が変わるのか。弱者を助けることの大事さを共有するのか。お金が一番、お金を設けて何が悪いという価値観が変わるのか。
 
現状は、日本社会がまだ慌てふためいているだけで、インフラや物流の維持、食料や物資の生産、医療に働いている人たちへの感謝までいっていないように見える。
 
東京に人が集中しているというが、じっさいには、会社が東京に集中していて、周辺の遠くから人々が電車などに乗って集まってくる。
 
テレワークですむとは、そのような仕事は必要なのかと思ってしまう。ハンコを押さないといけないから東京に出勤しないといけないと聞くと、そんな仕事が必要なのかと思ってしまう。営業だからお客さんを接待しないといけないと聞くと、そんな仕事が必要なのかと思ってしまう。
 
日本には、管理や営業などのコミュニケーションの仕事に従事する人たちが多すぎるのではないか。頭を使う仕事より、手を使う仕事のほうが、社会に必要な仕事ではないか。みんなで手を使う仕事をして、労働時間を減らしたほうが良いのではないか。
    ☆    ☆
 
93年前のドイツのSF映画『メトロポリス』は、つぎのメッセージが出て終わる。
  MITTLER ZWISCHEN HIRN UND HÄDEN MUSS DAS HERZ ZEIN!
 
これを日本語にすると、「脳(HIRN)と手(HÄDEN)の仲介者(MITTLER)がいるべきだ」となる。
 
この映画製作者が、考えた「手」とは工場労働者のことである。では、「脳」とは何かというと、銀行員のように、帳簿をつけて計算することである。パソコンが普及した現在では、「脳」を担う人がもっと少しでいいのではないか。東京の本社機構は縮小していいのではないか。
    ☆    ☆
 
115年前に、レフ・トルストイの書いた『イワンのばか』という童話がある。イワンは「手」を使って働くことしか、興味がない。だから、「ばか」と言われる。
 
この「ばか」が王様の娘の病気をなおしたことで、娘と結婚して、王様になる。ところが、手で働くことばかりして、お金に興味がない。賢い人たちは、こんな王のもとにいてもしかたがないと、国を去る。ばかばかりが残って、みんなが自分の手で働いて食べる国になる。誰もお金をもっていない。
 
悪魔の親方にとって、これが面白くない。この国を潰そうと出かけて いろいろなことをするが、うまくいかない。国に残っている人たちは、お金に興味がないから、国を潰しに来た悪魔の親方は食べ物が買えない。キリストの名前で恵んでもらうことが嫌いな悪魔の親方は、お腹をすかして、王のイワンにつぎのように言う。
 
「誰もかも手を使って働かなきゃならないなんて、お前の国でももっとも ばかげた おきてだ。…… 賢い人は何で働くか知っているか?」
「手で働くより頭を使った方がどんなに得だか わかるだろう。」
「頭で働くことは手よりも百倍もむずかしいと言うことをちっとも知らない。時としちゃ、全く頭がさけてしまうこともある。」
 
王のイワンはびっくりして、「頭」で働くことを、悪魔の親方から教えてもらおうと、国のすべての人たちを集める。
 
悪魔の親方は、高い塔の上から、集まったイワンの国の人たちに、「頭」で働くことを説明する。毎日、毎日、悪魔の親方は話し続けるのだが、いつまでも、「頭」で働き出さないので、みんな帰っていく。とうとう、お腹のすいた悪魔の親方は、足がよろめいて、壁に頭をぶつける。いよいよ、「頭」で働き始めたとみんなが再び集まった。
 
悪魔の親方は、塔の階段に頭から倒れて、そのまま、頭を段に打ちつけながら、地面に思い切り落ち、本当に頭が裂けてしまう。
 
童話なので、トルストイの言っていることは極端だが、中央官庁と政治家が役に立たないのを見るにつけ、もっと手や足で働く社会に変容する必要があると思う きょう この頃である。

政府の新型コロナ対策は大丈夫なのか、なにかオカシイ

2020-04-15 22:55:45 | 新型コロナウイルス

私の妻の友人の娘が、発熱を繰り返し、3週間自宅に待機していたが、町医者に新型コロナでないと言われ、あすから出勤するという。親から行くなと言われたのに、休暇をとって、フランスに遊びに行き、ヨーロッパからの帰国者の検疫がまだ厳しくない3月に帰ってきて、自宅待機していた。

彼女は新型コロナのPCR検査をやっていない。発熱はまだ収まっていないようだ。医者に新型コロナでないと言われたと、勤務先に言ったら、出勤せよと言われたとのことである。検査していないのだから、もし、町医者の判断が誤っていれば、40代の彼女は新型コロナを広めて歩いていたことになり、これからも広めるかもしれない。彼女は一人暮らしだから、すくなくても、食べ物を買いに外に出ていたはずである。

4月10日、さいたま市保健所所長が、記者から、市の新型コロナのPCR検査数が、県や他市に比べて少ない理由を問われ、「病床が満杯になって重症者が入院できない状況を避けるため、検査にかける条件を厳しめにやった」と答えた。

保健所所長は市長と話し合っていたはずである。

この保健所にかぎらず、PCR検査の抑え込んでいた保健所が多いように私には思える。

4月8日の夜に、横浜市の私立認可保育所に勤務する女性保育士が感染したことが、わかった。市との協議で、「休みたいと主張する保育所側に対し、市は9日に通常通り開所することを指示」した。さらに、混乱を「避けるためとして」、保護者に感染者の発生を知らせないよう求めたという。

理由がわからない。新聞記事によれば「保育士は発熱などの症状があり4月4日から欠勤。市は保健所の助言をもとに『すぐに休まなくても感染リスクが高まるわけではない』と判断した」という。

保育所は、市の要請を無視し、保育士が新型コロナを感染したと保護者に伝え、誰も子どもを預けに来ず、事実上の閉鎖になったという。

この記事はつぎで終わっている。
「政府の緊急事態宣言を受けて市は8日、市内の保育所について『原則開所』とすることを保護者に通知。家庭で保育できる場合は預けないよう協力を求め、その分の保育料を減額するとしている。」

市が保育所の「原則開所」という政府要請を守ろうとしたためだろうか。それとも、「保育料減額」の事態や休業補償を恐れたためだろうか。

私の近所の保育所の子どもたちを見ても、咳をしているマスクなしの子がいる。子どもから保育士が新型コロナを感染するリスクが十分にある。

4月7日に政府の緊急事態宣言がでたが、何かがおかしい。賃労働という経済活動が依然と続いており、消費活動だけが抑え込まれている。政府の新型コロナ対策は大丈夫なのだろうか。政府は個人の自粛に問題を押しつけるだけでなく、経済活動と医療システムにメスをいれないといけないだろう。

正しく怖がることが難しい、新型コロナ

2020-04-15 00:06:34 | 新型コロナウイルス

4月3日のAFPニュースがまとめた、いまだにわからない5つの新型コロナ感染症の謎の1つは、「感染者の総数は何人か?」である。

この問いは「集団免疫」とも関係している。国民の何パーセントが感染しているか、ということは、「集団免疫」ができて、いつ感染の流行が終わるか、とも関係してくる。

イギリスのジョンソン首相が新型コロナに感染したことで、どうも、「集団免疫」ができるのは、遠い先のことで、とにかく、個々人が「社会的距離(social distance)」を保って、感染の広がるのを遅らせるしかない、とヨーロッパで言われ始めた。

きょう、スーパーに行ってみると、レジがまったく混んでいなく、待ちの人が間隔1.5メートルを守っている。また、レジの店員と客の間に透明フィルムが貼られていた。
また、マクドナルドでも、待ち行列は間隔1.5メートルを守っていた。
私の働いている放デイサービスでも、透明版を挟んで体面指導をしている。

メルケル首相は、治療薬が開発されなければ国民の60%が感染しないと新型コロナの流行が止まらない、言った。いま、できることは、「社会的距離」を保ち、感染の広がるのを遅らせ、医療システムの崩壊を防ぐことだと言った。

「集団免疫」は、なかなかやってこない。
怖がることが今必要なのだ。
怖がって、できることをして、感染の広がりを遅らすのが、正しいのだ。

4月13日のWHO報告にもとづき、国民の感染率、感染者中の致死率、1日当たりの感染者増加率(7日間平均)を、感染率の高い順に書き抜くと次のようになる。
 ルクセンブルグ  0.53%    2.0%  2.1%
 アイスランド   0.48%    0.5%  1.2%
 スペイン     0.36%    10.2%  3.0%
 スイス      0.29%    3.4%  2.3%
 ベルギー     0.26%    12.1%  5.2%
 イタリア     0.26%    12.7%  2.4%
 アイルランド   0.19%    3.5%  8.8%
 ポルトガル    0.16%    3.0%  5.0%
この後にやっとアメリカが出てくる。
 合衆国      0.16%    3.9%  6.6%
これらと比較するために、日本とイギリスとをドイツをかかげる。
 日本       0.006%    1.4%  9.3%
 イギリス     0.13%    12.6%  7.2%
 ドイツ      0.15%    2.3%  3.1%

WHOでは感染者数を “the number of the confirmed cases”と記している。これは、PCR検査をして感染が確定した数だからである。ほんとうは、検査されていない感染者がもっと多くいるはずである。欧米の場合は、感染者数は確定数の10倍ぐらいだろう。

日本の確定した感染者数は少なすぎる。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広が、厚労省の報告数の30倍から100倍だろうと言ったが、その通りだろうと思う。多分、100倍に近いと思う。

さいたま市の保健所の関係者が、自宅待機の感染者が増えると困るから、PCR検査数を抑えていた、と言って大騒ぎになった。

致死率の差は、1つは医療システム崩壊で死者がふえてる場合と、もう1つは検査数を急に増やしはじめたので死者が少なく見える場合がある。日本は後者にあたり、これから、死亡率が増え始めるだろう。

治療薬がなくても、医療システムが機能しているときの、致死率も、新型コロナの謎の1つである。

医療システム崩壊とは、単に、新型コロナの感染者に対する医療だけでなく、他の病気の診療も含む。新型コロナ感染を検査しないと、病院にかつぎこまれた病人が感染者であると、院内感染が発生する。4月に入って、各地で院内集団感染が発生している。

また、保健所も崩壊しつつある。保健所の仕事を軽減しないといけない。電話相談は外部のコールセンターに任せば良い。また、PCR検査をするか否かの判断は市中の医師に任せれば良い。医師から依頼を受けた検体採取側が検査の優先順位を決めれば良い。

イギリスでは、新型コロナ感染に対する医療従事者の個人防具(PPE)が不足しており、政府がその増産を要請した、とイギリスのテレビ、BBCが報道した。PPEとは、医療用マスク( N95または FFP2標準かそれに相当するもの)、エプロン、手袋、ゴーグル、フェイスシールド、ガウンなどである。

日本でも同じことが起きている、と思う。新型コロナの緊急事態宣言の目的は、必要な物資が行き届くことと、社会インフラを維持することで、特別措置法に、そのための罰則がある。

さらに、問題なのは、日本政府が新型コロナ緊急事態宣言を、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都道府県に限定したことだ。そのために、千葉から茨城にパチンコに出かけることが起きた。

感染率は、この7都道府県では、最高が東京の0.015%、最低が千葉の0.005%だが、7都道府県以外でも、北海道の0.005%、京都府の0.007%、石川の0.01%、岐阜の0.005%、福井の0.011%、高知の0.009%が0.005%以上である。これは、PCR検査での確定患者数にもとづいているから、30倍から100倍すれば、実際の感染率であろう。1000人いれば数人は感染者と思ってよい。都市部ではもっと高いだろう。体面で働かなければならない人にとって、これは大きなリスクだ。

緊急事態宣言は全国で良かったのではないか。

共産党参院議員の小池晃が、きのうのBS TBS『報道1930』で、クラスター班の西浦博教授の「80%接触を削減すれば、劇的に感染者の増加が抑えられる」という疫学のモデル式とパラメータとその根拠を明示すべきだと言っていたが、私もそう思う。

ヨーロッパのどの国も、ロックダウン(封鎖)をしても、感染者数は順調に増加している。また、日本はPCR検査が抑制されていて、感染者の実数がわからない。希望的観測の言葉だけが独り歩きして、5月6日の自粛明けに、感染流行がリバウンドする恐れを私はいだく。

疫学の数値モデルは入力データの信頼性が乏しく、予測は職人技のように思える。

怖がって、何をなすべきかは、「社会的距離」以外は、個人の力を越えており、社会的な課題である。事実にもとづき、適切な政治力が発揮されないといけない。役人はパニックにおちいっており、政治家や言論者の冷静な判断力と行動力が求められる。

[追記]
国会で給付が論じられているが、経済対策なら自治体に負担のかからない期限限定の消費税セロで行うべきで、それ以外は、休業要請にもとづく、休業の対価という形にすべきだ。また、あべのマスクより、医療崩壊を防ぐために、お金を使うべきだ。

「エクレーシア」は「教会」か、ネットで聖書を読むことのすすめ

2020-04-12 22:45:40 | 誤訳の聖書

新型コロナ緊急事態宣言で外出自粛になっている。本をじっくり読む絶好のチャンスだが、図書館は閉じているし、この辺の本屋はショッピングセンターやモールに入っているので閉じられている。こんな時、ネットで本が読めるとありがたい。

USAやドイツなど海外では、著作権のきれた本がネットに上がっていて無料で読める。ドイツ語で良ければ、カントとかニーチェとかエンゲルスとかカウツキーとかが、読める。英語なら、フロムとかラッセルとかアーマンとかが読める。

だが日本語では無料で読める本がネット上では少ない。このなかで、聖書だけは、いろいろなサイトからタダで読める。おすすめは、日本聖書協会の「聖書本文検索」だ。3種類の翻訳、『聖書協会共同訳』『新共同訳』『口語訳』を読み比べることができる。ただし、このサイトでは、語句の説明とか、聖書のなかの参照関係とかが、紙の聖書と異なり、ついていない。

これについては、他のサイトで調べるか、紙の本を買うしかない。
        ☆       ☆       ☆

読み比べてみると、相変わらず、エクレーシア(ἐκκλησία)が 3つの翻訳とも、新約聖書では「教会」と訳されている。訳語「教会」は間違っている、と私は考える。

紙の本の『聖書協会共同訳』の付録の用語解説に「会衆」という項目がある。

〈 ヘブライ語エダー(עדת)の訳語で……成人男子の公的集会をさす。また、……集合した人々を指すカハル(קהל)も、翻訳では「会衆」という訳語があてられている。この両語は聖書でも厳密に区別して使用されているわけではない。なお前者のギリシア語訳には「シナゴゲー(συναγωγή)」、後者に「エクレーシア(ἐκκλησία)」(新約では主に「教会」を指す)という訳語があてられている。〉

ギリシア語「シナゴゲー」も「エクレーシア」も、それぞれ、「集める」という意味の動詞 “συνάγω”、 “ἐκκλησιάζω” の名詞形である。意図をもって集められた、あるいは集まった人々を指す。違いは、新約聖書では、「シナゴゲー」はユダヤ人の「集まり」、「エクレーシア」はイエス・キリストによって招かれた「集まり」を指す。多分、キリスト教徒の集まりは、最初、ユダヤ教徒の分派だったから、「エクレーシア」を使ったのだろう。

[補足]ギリシアでは、「エクレーシア」は都市国家の民会(都市国家の最高意思決定の市民全体集会)のことだった。自分たちの集まりのほうが平等で素晴らしいというキリスト教徒の自負から、「エクレーシア」と呼んだのかもしれない。

ルターは、旧約聖書の「エクレーシア」も「シナゴゲー」もドイツ語で “Gemeinde”と訳した。この語は意図をもって集められた人々を意味し、日本語で「共同体」と訳されることが多い。『新共同訳』では、旧約聖書のエダーを「共同体」と訳し、カハルを「会衆」と訳した。ルター訳を意識してのことだろう。ルターは、新約聖書の「エクレーシア」だけを “Gemeinde”と訳し、「シナゴゲー」をそのまま “Synagoge”とした。

「教会」は英語の“church”の訳である。なぜ、「教会」となったのかは、私は知らない。以前書いたように、ホッブスは“church”の語源を「主の家(οἰκία κυριακή)」だとしている。しかし、「主の家」と「教会」の距離も遠い。もとの「イエスキリストに集められた人々」という意味が消えてしまう。

「エクレーシア」を「教会」と訳す根拠はない。

それでは、初期キリスト教では、「エクレーシア」はどんなものだったのか。パウロは『コリント人への手紙1』 12章28節で次のように書いている。

〈 神はご自身のために、教会の中でいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に癒やしの賜物を持つ者、援助する者、管理する者、種々の異言を語る者などです。〉聖書協会新共同訳

当時の「エクレーシア」にいろいろな人がいたことがわかる。聖霊に導かれて好き勝手に騒ぎ飲み食う場所だったのである。パウロは、この手紙で「エクレーシア」のみんなに節制をもとめ、秩序を求めている。他人にわからない異言を慎むように言っている。パウロはローマ帝国風の社会に染まっており、組織化を目指している。組織化が、キリスト教団を大きくしたが、いっぽうで、信者の間に上下関係と、抑圧の種をまいたことになる。

〈食事のとき、各自が勝手に自分の食事を済ませ、空腹な者もいれば、酔っている者もいるという始末だからです。あなたがたには、食べたり飲んだりする家がないのですか。それとも、神の「エクレーシア」を軽んじ、食事を持参しない人々を侮辱するのですか。〉

〈異言を語る者がいれば、二人か多くて三人が順番に語り、一人は解き明かしをしなさい。解き明かす者がいなければ、「エクレーシア」では黙っていて、自分と神に対して語りなさい。〉

〈神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、女は、「エクレーシア」では黙っていなさい。女には語ることが許されていません。律法も言っているように、服従しなさい。〉

さて、新約聖書にもどると、『マルコ福音書』、『ルカ福音書』、『ヨハネ福音書』には「エクレーシア」が出てこない。『マタイ福音書』では2カ所だけである。あとは「シナゴゲー」である。福音書は、生きていたイエスの言動を扱うので、まだ、「エクレーシア」は成立していないのだ。イエスは野外や「シナゴゲー」で病人をいやしたり、話しをしたりした。この当時、「シナゴゲー」のための家が村や町にあって、イエスも利用できたのである。

最後に、新約聖書の英訳は現在非常に多数あるが、「エクレーシア」をどう訳しているか、ネットのbiblehub.comで調べてみた。

『マタイ福音書』の18章17節で「エクレーシア」が出てくるが、30種の英訳聖書のうち、“the church”が22の英訳聖書で、“the congregation”が 1つの英訳聖書で、“the assembly”が4つの英訳聖書で、“the community”が1つの英訳聖書である。訳 “the community”はルターの “Gemeinde”と同じ解釈である。

このサイトbiblehub.comは、ギリシア語テキスト、ヘブライ語テキストの文法解析もあるので、便利であり、私は使用している。

[補足]
ルター訳にしたがうドイツ語聖書は下記で読むことができる。
https://www.academic-bible.com/en/online-bibles/luther-bible-1984/read-the-bible-text/