青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

遺書 14 ElvisとBeatlsのはざまで~Johnny Tillotsonの時代

2020-08-08 20:50:57 | アメリカン・ポップスearly60’s




The Best of Johnny Tillotson (多国籍カバー編 ①)

僕のメイン・ワークは、「野生アジサイ」「蝉」「蝶」なわけですが、それぞれを収納したHDDや録音テープの大部分が現時点では活用出来ず、当分は休止せざるを得ません。

もう一つ、アメリカン・ポップス。こちらは上記3つを上回るほどの「大作」を、いくつも準備しています。どれも8~9割がた完成しているのだけれど、つい力が入りすぎて、なかなか「完了」とはいかない。

で、ブログにアップしてるのと言えば、本来の守備範囲じゃない、それほど興味ない対象ばかりなんですね。思い入れが少ない分、気楽に書いていけます。

ということで、思い入れはあっても、あまり力を入れずに書けそうな、溜まっている分を、少しづつ吐き出して行こうと考えています。

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「Why Do I Love You So こんなに愛して」
ピアノ独奏(東南アジアの見知らぬおじさん)+ジョニー本人のイントロ/エンディング歌唱 (2018.1.1にアップされた映像)


1959年末リリースの通算4曲目のヒット曲。60年1月から4月にかけBillboard Hot100に通算
14週間ランク(最高位42位)。日本ではシングル発売されず、当時のベスト盤に「こんなに愛して」の邦題で収録されています。

タイでのナンバー・1ヒット。当時、東南アジア各地で大ヒットしていたようです。2017年夏、バンコクでのブライアン・ハイランドとのジョイントライブの前に、現地情報を収集したのですが、どうやらタイでは国民的ヒット曲と言って良い超有名曲なようで、この曲と「ジュディ・ジュディ・ジュディ」は、(若者も含めて)皆知っていた。

ということで、数多のアジアン・カバーバージョン(秀逸多数あり)の中から、ジョニー本人の歌声が
イントロとエンディングにかぶさる(たぶん無許可?)、不思議な構成のピアノ独奏版。

ところで、このジョニー・ティロットソンの「タイの国民的歌曲」。作者は、“Clifford Rhodesクリフォード・ローズ”という人なのですが、、、、ジョニーの歌った曲は、本人作詞作曲のヒット曲はもちろん、ほとんどすべての曲の作者の素性は、よく分かっているのですね。なのに、この「クリフォード・ローズ」という人の素性だけは情報が皆無。ネットでもいろいろと調べてみたのですが、この人に関しての記述が全くない。一体、どんな人なのか、非常に興味があります。誰かご存じの方はいないでしょうか?

*ちなみに、改めてチェックしたら、このピアノ弾いているオッサンは、東南アジアの人じゃなく、ローマのAndre Caronという人でした。

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「Cutie Pie キューティ・パイ」

The King Elvis Band (King James Brown 2013.10.19にアップされた映像)

「キューティ・パイ」は、日本でのジョニーの初ヒット(1963年秋)。本国では、やはり自作の「ウイズアウト・ユー」(1961年秋Billboard Hot100:7位)のB面。日本でリリースされる直前に、アルゼンチンのチャートでNo.1に輝いています(1963年6月)。英語歌唱よりも、日本、中南米、南ヨーロッパ(フランス、ベルギー、スペインなど)の歌手(各国語)によるカバーが少なからずあることは、(後の「涙くんさよなら」が日本語とスペイン語でヒットしたことと併せ考えて)興味深いです。

このKing James Brownは、エルヴィス・イミテェィターの第一人者としても知られる、比較的メジャーな歌手のようです。たぶん2007年からスタートした「American Band Show」の一環で、「ポエトリー・イン・モーション」も歌っています。彼は、「From Elvis To Memphis」のアルバム完全コピーも発表していて、無論「涙ながらに」も含まれるので、「キューティ・パイ」「ポエトリー」「涙ながらに」の三曲をカバーしている唯一の歌手ということになります。

バック・バンドが素晴らしいですね。コーラスのおっちゃんとおばちゃんは、アジア系のヒスパニック?

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「Judy,Judy,Judy ジュディ・ジュディ」

(2016.10.2にアップされた映像)

アメリカでは 「You Can Never Stop Me Loving You」 (1963年にBillboard Hot100:
18位/Adult:4位)のB面。ドク・ポーマス、ポート・シューマン、ジョニー・ティロットソン三人の作。ジョニー自身が出演した英映画の挿入曲。アメリカ、日本、イギリスではノンヒット。ニュージーランド・チャートで、1963年暮にNo.1を記録。オーストラリア・チャートでもトップ10入り(シドニーではNo.1)をしているほか、タイ、香港、台湾などでも当時大ヒットしていたようです。(「涙ながらに」や「夢の枕を」も含め)太平洋西南岸域各国をクロスオーバーした一連のヒット曲があるわけで、日本とはヒット曲の傾向が異なります。

この若者は、オーストラリアかニュージーランドの人かな?と思っていたのですが、ロンドンの人みたいですね(詳細は不明ですが、たぶんDwyn Excelという名前?)。Johnny Tillotsonとクレジットされているユーチュブを開くと、「涙ながらに」の場合はアメリカのヘタッピな素人ジジイ、「ジュディ、ジュディ、ジュディ」の場合は、アジア系(除く日本)の、へたくそ素人ジジイが出てきたりするので、
ともに閲覧・視聴注意なわけです(ただし後者は、なぜか日本の秀逸女性歌手盤=木の実なな、太地真央=があり、日本でヒットしなかったのが不思議です)。

このバージョンは、男性歌唱盤としては、例外的に素敵です。

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「Send Me The Pillow That You Dream On 夢の枕を」

Johny Tilitson(H. Mardiyanto)(2007.10.12にアップされた映像)

ハンク・ロックリンの作品。自身の歌で1958年にBillboard Hot100:77位/C&W:5位。ポップスのほうでは、62年にジョニー盤でヒット。Hot100:17位/C&W:11位/Adult:5位。他にも、ザ・ブラウンズ、ディーン・マーチン、ザ・ホワイツ盤がBillboardチャートイン(僕はザ・ホワイツ盤81年
C&W:66位が特に好き)。

ジョニー盤は日本でもリアルタイムでリリースされましたが、(やはり前後にリアルタイムリリースされた本国C&W調ヒット曲「涙ながらに」「どうにも出来ない」「涙でいっぱい」共々)全くヒットしませんでした。本国のほか、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシア、北欧各国などでは、大ヒットしています。

どの曲の場合もそうですが、You-tubeに紹介されているアーティストのクレジット(例えばJohnny Tillotson)は、本人歌唱でない場合は、ふつうは「カバー」であることが明記されています。しかし、
全く注記してない場合も少なくありません(ということは本人なりすまし)。新しいバージョンがアップされているのかな?と思って開くと、とんでもない下手くそな「視聴注意」素人歌唱が出てきたりします。これもその一つで、堂々と「唄:ジョニー・ティロットソン」と明記されています。恐る恐る開いたら、やっぱりアジア系の眼鏡のオッサンの成り済ましでした。よくチェックすると本名H.Mardiyantomも見つかるのですが、特に注記はないので、中には「この人がジョニー・ティロットソンだ」と思ってしまう人もいるはずです(アメリカの野球博物館で「王貞治」と間違われてサインをして、後で懺悔の念を抱いたという某漫画家の話を思い出します)。

ところが、、、、これが上手なんですね。いや、ジョニー本人より遥かに上手いかも知れない(現地では人気シンガーらしいです)。それだけでなく、インドネシア民謡を交えた曲の構成も映像も、素晴らしい出来です(以前に紹介したサモア盤「夢の枕を」と双璧!)。ついでに、デヴィ婦人の由来が、何となく理解出来る(笑)。

ちなみに、クレジットをよく見たら、Johnny Tillotsonではなくて、Johny Tillitonでた。複数記されているので、誤記ではなく、どうやら確信犯?

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「It Keeps Right On A Hurting 涙ながらに」

Tantowi Yahya(2015.12.18にアップされた映像)

こちらもインドネシア。インドネシアのナンバー1カントリー歌手で、かつ現職国会議員(次期大統領候補?)だそうです。

ジョニー自作のこの曲(Billboard Hot100:3位/C&W:4位/R&B:6位)は、「夢の枕を」ともども日本では全くヒットしませんでしたが、オーストラリア、ニュージーランド、北欧諸国などでは大ヒットしています。インドネシアでもヒットしていたみたいです。

この、白鵬そっくりさんの、感情たっぷりな歌唱も、“Johny Tiliton”さんに負けず素敵です。歌詞を
三か所変えてます。三つ目の部分では、聴衆の女性を指さして、「今さっきフラれた」とか言ってます。
指さされた女の子2人が、「私じゃないわよ、あなたなの?」とか言い合っています(多分その2人の右の女性だと思う)。で、そのあとに原曲にはない「語り」が入る。森進一「おふくろさん」だったら、歌唱禁止になるところです。

でも、これ見ていて(ことに聴衆の素朴なお爺さんや女の子たちが素敵で)「インドネシア、いいなぁ~~、、、僕もインドネシアに行って永住したい」と思ってしまいました。

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「Talk Back Trembling Lips トレンブリン・キッス」

Kitty Wells(1919~2012)

ジョンD.ラウダーミルク作、63年後半にベテランC&W歌手アーネスト・アシュワースで、カントリーチャートNo.1になっています。Hot100のほうでは選外で、惜しくも最高位101位(なぜかカントリーNo.1の曲は、ポップのほうでは101位が多い)。続いて、63年暮から64年にかけて、ジョニー盤がポップスのほうで大ヒット(Hot100:7位/Adult:6位)しています。

今回は、米国メジャー歌手以外のカバーによるジョニーのヒット曲紹介なのですが、このキティ・ウイルズだけは例外で、米C&W界女性歌手の大ボスとも言える存在。この歌唱(アルバムカット)は60年代半ばだと思うので、40歳代後半です。この頃、同じDeccaレーベルに所属する、2人のビッグネーム女性歌手、ロレッタ・リンとブレンダ・リーの三人で歌ってる映像を見たことがあります。キティは、ロレッタより15歳、ブレンダより25歳上なのですが、三人姉妹みたいに見える。ブレンダが歳より老けて見えて、キティが若い!

で、なんでメジャー歌手のバージョンをわざわざここで紹介したのかというと、こういうことです。
「トレンブリン・キッス」は、「涙ながらに」「夢の枕を」とともに、ジョニー・ティロットソンのC&W系三大ヒット曲であるわけですが、キティ・ウエルズ・バージョンの「トレンブリン~」のイントロは、、、、「涙ながらに」のイントロと同じメロディ、そのあと「夢の枕を」のイントロを挟んで、「トレンブリン~」に移る、という、面白い仕掛けがなされているのです。

関連話題が幾つかあるのですが、それはまたの機会に。

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「Country-Boy, Country-Boy カントリー・ボーイ」

Johnny Tillotson 日本語バージョン(1967)

最後に、ジョニー本人歌唱の、下手くそな日本語の曲。

アメリカでの(ヒット曲歌手としての)人気は、58年~65年。日本はスタートが遅れて63年~66年。

むろん時代が(ビートルズらによって)変わってしまったからジョニーたち「旧勢力」は駆逐されちゃったわけだけれど、生き残ろうと色々もがいたのですね。

髪の毛を伸ばしてみたり、大人っぽい歌を唄ったり、反戦歌にチャレンジしたり、、、。でも何をやっても、一度離れていった「空気」は、戻ってこない。

本国に関しては、65年の秋、「Heartaches By The Number 恋はつらいね」と、アルバム
「That's My Style」で、一応成功したのです。せっかく“これ(底抜けに明るい失恋カントリーロック)が僕のスタイル”と決めたのに、変に色気を出して、「Owr World」とか「Hellow Enemy」とか、
時代に乗ろうとして失敗した。

結局、2年後に“いつもの底抜けに明るい失恋C&Wソング”「ユアー・ザ・リーゾン」で、一応ほぼ最後と言って良いチャートヒット(67-68年:C&W48位)を記録することが出来たわけです。

日本でも、(事情は少し違いますが)「涙くんさよなら」「ユー&ミー」のヒットで味を占めて“和製歌謡ポップ”路線で行こうとして、完全に失敗した(「バラのため息」「恋のヨット」etc.)。日本でのジョニーの人気もこれまで、と思ってたところ、67年になって、突然無印の(宣伝してなかった)曲がヒットしました(ただしC&W評論家高山宏之氏の一押し)。こちらもC&W調。本国でも日本でも、結局最後はC&Wの曲がヒットしたわけで、めでたしめでたしと言っておいても良いでしょう。

ただしこちらは、“ノー天気な失恋歌”の「ユアー・ザ・リーゾン」とは違って、哀愁にあふれたメロディの、真面目過ぎる歌詞内容の曲。こんなのが日本人受けする、と狙って、ジョニーと(当時の)奥さんのルシルが作ったわけでしょう。目論見通り当たったわけです(伊達に「マスコミニュケーション学」博士号)。

ただ、この曲に日本語バージョンがあったとは知らなかった(誰が日本語に訳したのかは不明)。リリースされヒットしたのは英語バージョンです。日本語バージョンは50年経って日の目を見たのです。
いくら何でも、下手くそすぎます。リアルタイムで発売されなかったのは、正解でしたね。





コメント
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