東洋のレタス“麦菜”の謎 Ⅱ④
広西融水(九万大山/汪洞)2011.9.20-21
結局、梧州では“油麦菜”の花を見ることは出来ませんでした。しかし、たまたま以前の写真を整理していたら、7月上旬の“ヤナギバハナアジサイ”の探索時に訪れた九万大山の麓(汪洞鎮)で撮影した一連の写真の中に、紛いなき油麦菜であろうと思われる個体(葉)のカットを発見。融水は、数日前まで一週間ほど滞在していた桂林からは100㎞以内の地で、もとはと言えば今回の桂林行は、帰国の前に、ヤナギバハナアジサイの挿木を採取しに九万大山を再訪することが目的だったのです。でも、予算的に(一文無しですからして)宿舎を離れるのは難しい、ということで断念したのですが、今なら経費は確保出来ます。帰国前にもうひと踏ん張りして“幻のヤナギバハナアジサイの挿木採取”&“謎の油麦菜の花撮影”に向うにしくはありません。
しかし、写真をチェックして“油麦菜”と確信していたはずの汪洞の集団も、実際に調べてみたら全て“苦麦菜”だったのです。幅広い葉の様子はいかにも油麦菜的なのですが、花や種子は、紛いもなき苦麦菜。地元の方に「油麦菜はどこにあるのですか?」と訊ねても、「無い」または「今は無い」としか返事が返って来ません。
それと、不思議なのは、厳重な石垣で囲われて大事に栽培されている一方で、そこいらに雑草化して生えている。梧州~柳州~融水のバスの車窓からも、至る所で栽培なのか逸出なのか定かでない、塔の立った“苦麦菜”を見かけています。その辺りの相関性が、今一つ良く分からない。
という事で、結局うやむやになったまま、実態は分からずじまいなのです。
九万大山山麓の汪洞鎮にて7月8日撮影。これぞ“油麦菜”と思っていたのですが。
こんな風に生えていると、栽培なのか逸出なのか、よく分からなくなってきます。
葉は、ごく狭いものから、幅広いものまで、様々です。
網や石垣で囲われているものは、間違いなく大事に栽培されているのですが。
葉質のイメージは、どこかレタスを思わせます。
(写真左)花と種子をぎっしり付けた古い塔立ち個体と、幅広い葉の若い塔立ち個体。
(写真左)株の横に注目して下さい。種子を撒いた後の市販の袋が、、、。栽培品は、一回一回市販の種子を撒いているのでしょうか?
極めて細長い葉の個体。野生アキノノゲシの“ホソバアキノノゲシ”のタイプに当たるのでしょうが、どこか雰囲気が異なります。
花はアキノノゲシと区別が付かないと思う。
こちらは野生(在来?)種の、ヤマニガナ近縁種(アキノノゲシ属)またはニガナ属の種。
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以下、断片的に。
苦麦菜は、アキノノゲシそのもの(またはごく近縁の種)を育種改良したものと考えて、ほぼ間違いないでしょう。
以前(8年前)に陽春を訪れた時に初めて見ました。その頃は、“食用”としては、陽春周辺(及び海南島など)の限られた地域でのみしか栽培されていなかったように思います。
その後、急速に普及、現在では、長江流域以南の中国各地で、広く栽培されているようです。
石垣や柵で囲み、非常に大事に栽培されているようであるとともに、あちこちの空き地や路傍に雑草然として見られるのは、どう解釈すれば良いのでしょうか。
葉が大きい小さい以外は、大事に囲って栽培されているものと、路傍などに雑然と生えているものとの間に、これと言った差は無いように思えます。
これは僕の想像ですが、セイヨウタンポポが食用として最初に日本に持ち込まれた頃も、似たような状況だったのでは? 当初は大事に育てられていたのが、(“綿毛”で種子を運ぶ風媒花ゆえ容易に拡散繁殖し)至る所に雑草化、肝心の“野菜”としての栽培は、早晩廃れてしまった。それと似たような道を辿る可能性も考えられるでしょう。
葉に切れ込みがあるのが苦麦菜、滑らかな全縁の葉が油麦菜である、と言う人が多くいます。でも、苦麦菜にも全縁の葉は普通に見られます。苦味も全く同じです。
花の写真を見せると、畑の周辺の住人さえ、ほとんどの人が、「これは苦麦菜では(もちろん油麦菜でも)ない、“野菊”の花である」と答えます。茎や葉がともに写っている写真を見せて、はじめて納得して貰えるのです。大抵の人は、麦菜もほかの青菜類と同様に、菜の花タイプの花が咲くのだと思い込んでいるようです。野菜として利用され出してからの歴史が、それだけ新しいのかも知れません。
「油麦菜はどこにあるのか?」と訪ねると、「今は無い」という答えがしばしば帰ってきます。油麦菜は春にしか見られない、とういことなのでしょうか? だとしても(苦麦菜同様に)塔立ちの株が残っていても良さそうなのですが。
油麦菜と苦麦菜は全く別物。なおかつ季節が異なる。それにしては、油麦菜も(苦麦菜以上に)市場に溢れています。
油麦菜と苦麦菜は同じもので、食用に具される若い葉の頃を“油麦菜”と呼び(収穫時期は春?)、塔の立ったものを“苦麦菜”と呼んでいる。これは絶対にあり得ない(同時に市場に出ているし、両者は明らかに種子の形状が異なります)のですが、一般の人々が(実際の両者の区別とは無関係に)そのように思っているであろう公算は高いでしょう。
どう見ても油麦菜の葉(油麦菜の花は未確認)としか思えない個体も、聞くと“これも苦麦菜”という答えが返ってきます(そして、同じ場所に生えている塔立ち個体の花や実をチェックすれば、確かに間違いなく苦麦菜なのです)。
「甜麦菜」と言うのもある由。苦麦菜の畑で念のため名を確認したら、「これは甜麦菜」という答えが返ってきました。葉が甘い(または苦味の少ない)苦麦菜?
「甜油麦菜」というのもあります。甘い油麦菜。ほとんどレタスそのものなのでは?
市場やスーパーには、葉の切れ込んだ苦麦菜(①)、全縁の苦麦菜(②)、それに似た油麦菜(③)、レタス的な油麦菜(④春菜?)、生菜(⑤レタス)が、たいてい一緒に並んでいます。
生のまま食べ比べをしてみました。①苦い(野生のアキノノゲシと基本的には同じ味だと思う)、②苦い、③苦くない、④レタスに似た味、⑤レタスの味。
①や②も、熱湯に浸せば苦く無くなることを確認。
苦麦菜はむろん、油麦菜も炒めて食べることが多いようです。
苦麦菜の存在意義が、もう一つ良く分かりません。一般にはまるで人気がなさそうなのに、これだけ数多く栽培されて(かつ場所によっては非常に大事に扱われて)いる、という事実に、どういう意味があるのでしょうか?
苦味の成分に様々な薬効があり、純粋な食用としてよりも、いわゆる薬膳として利用されている。それは確かだと思います。でも、それだけではこんなにあちこち(といっても南部の限られた地域だけでしょうが)で栽培されている、と言うのは不思議。
やはり“苦味”が(遠ざけられる原因であるとともに)人気のポイントなのだと思います。
とは言っても、中国の市場やスーパーでは、明らかに油麦菜のほうがメインではあるのです。
それらの油麦菜は、どこから来るのでしょうか? もしかすると温室内栽培?
油麦菜も苦麦菜も、共にこの数年の間にブレークしたのは確からしいのです。
湖北省の恩施のスーパーで訊ねたところ、(油麦菜か苦麦菜かそれとも両方かは聞き漏らしました)2009年から扱い出した、との答え(Ⅱ①に写真)。
ほかの(長江以南の)各地でも、似たり寄ったりだと思います。
中には、(少なくとも苦麦菜は)昔からあった、と言う人もいます。
あったけれど、食用とはされていなかった、という可能性も大きいと思う。
苦麦菜も油麦菜も、ともに陽春周辺(またはその近隣地域)が、発祥の地? それとも別個に発展した?
両者の由来は、全く無関係に成されたのでしょうか? 相互に何らかの関係を持ちつつ、今に至っているのでしょうか?
実のところ僕は、苦麦菜と油麦菜の関係を全く理解していないのです。
中国語のインターネットをチェックすると、苦麦菜は油麦菜の一品種ということになっています。
しかし、油麦菜は種としてはレタスそのものの可能性があります。
英文ネット上では、油麦菜の学名は、Lactuca sativa(=レタス)の変種(var. longifolia)とするのが一般的。Longifoliaは、いわゆる“コスレタス”“ロメインレタス”のこと。欧米で主流のタチレタスと同じものと考えられているわけです。
しかし、より詳しい報文(“付録”参照)では、種としては同じLactuca sativa(=レタス)でも、上記とは別の変種(var. angustana)のleaf typeとされています。Angustanaは“スティムレタス”のこと、すなわち、中国産の茎レタス(=莴笋)の、葉を食べるタイプ。
どちらが正しいのでしょうか? どちらかの変種が、中国で改良されたものなのでしょうか?
どちらでもなく、アジアに固有の集団に由来する、中国独自の野菜?
油麦菜が、種としてはレタスに属する一集団と、アキノノゲシを母種とする苦麦菜との、交雑由来である可能性も有り得ると思われます。
苦麦菜栽培地域に、(苦麦菜の逸種個体が数多く見られるのに)野生のアキノノゲシそのものが見られないことは、不思議です。
ほかの地域(陽春周辺や海南島など中国南部以外)が発祥の、アキノノゲシの食用化は?
台湾が発祥地(苦麦菜?油麦菜?)と言う説も。
神戸元町明楓(めいふう)China Maple Café
中国の一部地域では「ウサギノミミ」と俗称されているらしい。
雑草の都合 2011年07月12日レタス(5)油麦菜 ムギレタス
日本の西表島で、野生のアキノノゲシを「ウサギノミミ」と呼び、食用とする風習もある、という話と、合致します。
以前、那覇(沖縄)のスーパーで「食用ホソバワダン」を見付けた事を報告しましたが、“苦味の文化”を共有するのであろうアジア南部地域では、“苦菜”で総称されるところのキク科タンポポ連の苦味を持ったいくつかの(葉が大きな)種も、郷土野菜としてメジャーになりつつあるのかも知れません。
野生アジサイ探索記(下2e)伊平屋島【トカラアジサイ】2011.4.26~5.1 参照
野生アジサイ探索記(下2f)石垣島・西表島【ヤエヤマコンテリギ】2011年5月2日~5月5日 参照
タンポポ連の各種は、どれも苦味を伴う独特の風味(及び成分)を持ち、食用化に至る素養を内包しているものと思われます。しかし大半の種は葉がごく小さなことから、現実的には普及しないでいたのでしょう。その中で、ホソバワダンは葉が大きく肉厚で、食用化に適していたものと思われます。といっても、実際に食されているのは、(ゴーヤが普及するなど)苦味の文化の残る沖縄でも、一部地域のみ。中国南部のアキノノゲシの食用化(苦麦菜)ともども、どの様なきっかけがあったのか、知りたいものです。
しかし、一方では、苦味の強い苦麦菜やホソバワダンは、一般の人々には余り歓迎されてはいないのかも知れない、というのも事実でしょう。
中国シェンツェンの高級ホンコン料理店でワンタンを注文したところ、油麦菜らしきものが添えられていました。料理長に確認したところ、(言外に「失礼なことは言わないでくれ」といった面持ちで)「これは油麦菜ではない、生菜(レタス)である」と反駁されてしまいました。彼曰く、中国人は油麦菜などは好きではない、ましてや苦麦菜など食べるものは皆無に近い、美味しいのはレタスに限る、よって当店ではレタスしか使用していない、と。ゆくゆくは、レタスに限りなく収斂していくのではないかと思われます(すでにそうなりつつある?)。
(日本において当初食用として導入されたはずの)セイヨウタンポポも、今になって思えば、レタスに駆逐された口なのかも知れません。
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苦麦菜の種子(下右写真中央のオレンジ色は、ヤマニガナ近縁種またはニガナ属の種)。
上段オレンジはヤマニガナ近縁種、上段右は油麦菜(購入した種子)、その他は苦麦菜。