青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

コロナとマスクと「大丈夫です」

2021-02-11 20:18:49 | 香港デモ、新型ウイルス、日記


★2月9,10日の記事にいいね!その他ありがとうございました。

今日は、今年最後の日です(春節大晦日/徐夕)。今さっき、日本では「建国記念日」であることを知りました。これは日本人としてさすがに恥ずかしいですね(ここは素直に反省)。

それはともかく、日本のお正月は(むろん)前から決まっているのだけれど、中国の春節の日程は、前もって(ひと月ほど前まで)大衆には知らされないでいるのです。お上から押し付けられて「お正月の日が決まる」という、なんとも酷い国、としておきましょう。それを想えば、日本に生まれて良かった、、、のでしょうね、きっと。

去年の半ばからブログの表題を「遺書」としたわけですが、死ぬ死ぬ詐欺が続いているようですし、反応も全くなさそうなので、100回を区切りに、インパクトの強い別のキャッチ―なタイトルを模索しているわけです。中身は「遺書」に変わりありません。

言いたいこと(言い残して置きたいこと)は、極めて単純で、「事実は一つじゃない」「正義は一つではない」、、、「世界(世の中とか自分の中とかも含めて)は多様である」ということだけなのですが、人々は「多様性」とかいう言葉を頻発するくせに、その本質については全く分かっていないように思われます。

「コロナ排除」
結果として(無意識のうちに)自分たち自身が(自然界の仕組みから)排除されている。

「差別反対」
結果として(巡り巡って)差別の先頭に立っているということに、気が付いていない。

「世の中が良くなるために」
「人々が幸せになるために」
自分が出来ることをやろう!
その優しい(かつ安易な)気持ちや行動が、どれだけ(自分を含む)人々の体や心を蝕んでいき、差別を助長していくのか、考えたことがないのでしょうね(無意識的な「意識的思考停止」)。

たぶん、言っても無理なんでしょう。非科学的とかスピリチュアルとかで、一括りに却下されちゃいます。

それでも言いますよ。「マスクは必要ない」と。長い目で見れば(その行為の背景が齎す)「有害」です。

脅威は今に始まったことではない。 

「だったら、人類は昔からマスクしておくんだった」と反省する必要もありません。しないで回避するのが本筋です。いや、回避というのとも、ちょっと違うかな?

人間(生物全般)、生まれて死にます。そのサイクルの中で、他 (ウイルスも含む)と、どう関わればいいのか、ということだと思います。目の前の問題だけじゃないです。これからも永遠に続きます。

むろん、目の前の脅威(それが昔から存在する今に特別ものでないとしても)に対し、「とりあえず防ぐ」というのも一つの見解だと思います。

いろんな見解があっていい。だから僕は、(必要ないと思っているけれど)人との対面時などにはマスクをします。みんなで決めた(決まったわけでもないでしょうが)ルールに沿って、ルールの問題点を指摘するのです。

少なくとも、誰もいないところでマスクをし続けると言う事、マスク文化の「無意識強要同調空気」の形成肯定には、真っ向から反対します。

単に、マスクとか、コロナとかの、個々の問題ではないのです。

「コロナ問題」「差別問題」、、、。
答え、真実、正義は一つではありません。

そのことを皆(観念的には分かってはいるのだろうけれど)認めたくはない(特に頭の良い人たちは)。

常に留まり、常に動きましょう。安定と波乱は表裏一体です。矛盾混沌を肯定しましょう。

自分たちの平和と正義との為にだけ、他(ウイルスを含む全ての存在)を貶めることはやめましょう。





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