場末の雑文置き場

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「エルピス」最終回感想

2023年01月02日 | 映画・ドラマ

近年のテレビドラマの中ではかなり攻めた内容だったと思う。「民自党」の描写とか。それだけじゃなく、それぞれのキャラクターが立っていて純粋に面白いドラマでもあった。

最終回については、モヤモヤは残りつつも、当初の目的だった松本さんを救うことはできた。現実ではそれも限りなく不可能に近いことだから、良かったとは言える。大門も倒せてハッピーエンドだったら嘘臭すぎるし。
こんなの大門サイドから見ればトカゲの尻尾切りにすぎないし、大門享の無念も晴らされないままではあるが。最後浅川も岸本も晴れ晴れとしたいい笑顔をみせていたけど、大門享の映像が取引材料に使われたことを多分岸本は知らないんだよな。知ったらどう思うかな、とは少し考えた。

浅川と斎藤の対峙シーンでは、斎藤の言葉がひたすらに薄っぺらかった。政権交代したら日本が大変なことになるみたいに言っていたけど、何言ってるんだろうと思った。すればいいじゃないか政権交代。したほうがいい。
制作側としてはこの斎藤の言葉を空虚なもののつもりで描いていると思う。でもこれを正論として捉えていたり、まだ斎藤のことを信じていたりする視聴者も少なからずいるようだ。
斎藤が将来民自党を良い方向に変えてくれるなんて私は全く信じていない。将来的には大門よりもっと恐ろしい存在になっているとさえ思う。斎藤は希望ではなく災いでしかない。

主人公の浅川がこんな斎藤のような人間にべた惚れして自分を見失ったりしているような描写は見ていて辛いものはあった。私は浅川のことは好きだけど、斎藤と一緒にいるときの浅川は正直嫌いだった。でもそれも敢えての描写だろう。主役サイドであろうと汚い面もきちんと描こうという。最終的には斎藤と決別できたわけだし。

こういう二面性が一番上手く出ていたキャラクターが村井だったのかな、と思う。熱いジャーナリストである一方、最初から最後までセクハラ親父で。脚本家のインタビュー記事も見たが、村井のセクハラ描写は批判が出ることを承知で敢えて入れたものらしい。もちろんセクハラが作中で許されているわけではなく、村井のセクハラ・パワハラ野郎の側面は最終回でも浅川に批判されている。
私はこういう嫌な側面があっても村井のことが結構好きなのだが、それは斎藤のおかげかもしれない。斎藤はわかりやすいセクハラはしないけど、実はものすごく女を下に見ていてモラハラ気質。よく知ってみると斎藤のほうがずっと有害な男だというのが回を追うごとにわかってくる感じなので。それで村井のセクハラが許されてはならないのはもちろんだけど。

ただ、「善玉も悪玉もない」っていうまとめ方には納得はできなかった。村井は善玉でも悪玉でもない人物だと思うが、大門や斎藤は悪玉としか思えなかったので。権力バランスを無視して相対化して「どちらにもそれぞれの正義がある」みたいなのはもう古いんじゃないだろうか。


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