ハノイの街を歩いていると、練炭をたくさん積んだ自転車やバイクを
見かけました。
また、街の食堂の外では練炭コンロの上に網をおいて、肉を焼いている
光景によく出会いました。
民家の路地裏では、練炭コンロの上に鍋がかけてあり、家庭の炊事調理の熱源
として使われているようでした。
「練炭」は、日本で発明された固形燃料だって、ご存知でした?
私が子どものころには、家にあったことを思い出しました。
練炭コンロの上のには、煮豆の鍋がかけられてコトコトとゆげをあげていた
ことを思い出しました。
ハノイ郊外のマイチャウの村を訪れた時は、家の外に台所がおかれ、
お母さんが、炭やまきで炊事調理をしていました。
潔いほど台所のモノが少ない。
また、民族博物館のベト族の家では土間になった台所で火をたいて
調理をしていました。
電気やガスの供給が制限されると、現代の生活は一気に乱れ不便を感じることとなります。
効率や便利さだけを求めるのではなく、ゆったりと丁寧にご飯を作ったり、
洗濯、掃除などの家事をすることに憧れを感じ、
ベトナムで、日本の自分の日ごろの生活を省みるのでした。
こんなプリミィティブ(原始的)な生活に、憧れをいだいた私でした。
見かけました。
また、街の食堂の外では練炭コンロの上に網をおいて、肉を焼いている
光景によく出会いました。
民家の路地裏では、練炭コンロの上に鍋がかけてあり、家庭の炊事調理の熱源
として使われているようでした。
「練炭」は、日本で発明された固形燃料だって、ご存知でした?
私が子どものころには、家にあったことを思い出しました。
練炭コンロの上のには、煮豆の鍋がかけられてコトコトとゆげをあげていた
ことを思い出しました。
ハノイ郊外のマイチャウの村を訪れた時は、家の外に台所がおかれ、
お母さんが、炭やまきで炊事調理をしていました。
潔いほど台所のモノが少ない。
また、民族博物館のベト族の家では土間になった台所で火をたいて
調理をしていました。
電気やガスの供給が制限されると、現代の生活は一気に乱れ不便を感じることとなります。
効率や便利さだけを求めるのではなく、ゆったりと丁寧にご飯を作ったり、
洗濯、掃除などの家事をすることに憧れを感じ、
ベトナムで、日本の自分の日ごろの生活を省みるのでした。
こんなプリミィティブ(原始的)な生活に、憧れをいだいた私でした。