語彙論は国語学の研究によって、ある成果を出している。計量言語の手法である。国語学と日本語学を区分して、日本語学では語彙論に相応じるのは意味論である。言語研究の文法、音声はそれぞれに文法論、音声科学としてその分野を言語学として持つが、そこに意味の分野は20世紀になって、とくに哲学、論理学、心理学のアプローチでさかんになってきたから、言語の意味研究は何をスタートにするか。とらえられなければならない。語彙論にも言語学での議論はあるが要素分析における語彙の見方は意味論に通じるものとなったのでその分野をいわば重ね合わせることになる。 . . . 本文を読む
日本での総裁選、阿部首相の3選を中国で聞いた。政治状況がまた変化する。日本を離れている間の状況変化は、わずかな期間の出張だが、それでもその動きがあることを感じる。海外の空気に触れたからか。あの時もそうだったと思い出す。おかしなことに、その感覚は認識に新たな面を作り出す。何がおかしいかというと、例えば、帰国して紙幣の印刷が変わっていれば、聖徳太子でない夏目漱石が現れていたら、その紙幣を疑ってしまうというようなたぐいだ。政治の顔が変わってもそこではあまり変わらないから、紙幣がニューデザインになった時の感覚が忘れられない。いま、米国大統領との会談があって、新貿易交渉での合意を新聞は伝える。こういうふうに報道があると、そこには新体制の政策が見えているわけであるから、ほかにも、何やら話し合ってくるのは必定だ。そこに何があるかを国民は知らされないことがあるとしたら、日米秘密交渉となる、かつての繰り返すできごとを思い合わせる。そういう時代を半世紀以上も暮らしてきたわけであるから、いまさらに、それをたどればこの国がどうであるかを知ろうというものである。 . . . 本文を読む
なす 済す 完済する意味で用いる。あるいはまた、借りたものを返す意味がある。
日本国語大辞典用例より。
*西大寺本金光明最勝王経平安初期点〔830頃〕九「我れ一身のみして、而も堪へて済(ナシ)弁(はた)さむや」
*今昔物語集〔1120頃か〕二八・五「諸衛の大粮米(よね)を不成ざりければ、六衛府の官人・下部に至るまで皆(おこり)て」
くずす 崩す . . . 本文を読む
25日に帰国し、南京出張は無事に済んだ。すぐにも授業の準備で、25日から秋学期が始まった。疲れを分散して回復するのが、いつものこと、出かけた日程の倍はかかると、10月10日ごろまで、そろりと動く。帰ってホッとする間もなく、というのは台風のニュースで24号が週末に襲う。 . . . 本文を読む
飛行機は午後6時10分、上海浦東空港発、中部国際セントレア、午後9時20分着、南京駅は12時の高速鉄道で2時間ほど上海駅に着く。お世話になりました。
無事に帰り着いた。東方航空は快適だった。なんでも昔と比較してばかりでは、たまらないことだろうけれど、中華航空が民航に取って代わり東方航空と南方航空と草分けの時代に乗って、その頃のことからすれば、雲泥の差である。日本の航空会社とサービスに遜色がない。 . . . 本文を読む
帰り仕度
2018-09-24 | 日記
予定を終えて帰り仕度となる。本と冊子を置いて、開いた部分にみやげ物が入った。重量は変わらないかなと、軽くなるのを期待してそうもならなかった。こちらで買ったのは爪切りと歯垢楊枝と傘、スーパーで傘を買って一度きり、開いてさすほどのことなくすぎた。ずっと雨もよいで買った傘であるから、安心のためのようなものだったか。
スマホの便利さが際立つ。日常の通信から、情報の摂取、連絡はケータイ電話をしのぎ、なくて . . . 本文を読む
連休になる。秋分の日。季節を分けるとは、春と秋だけになる。そうであるかと、節分があった。そして夏至、冬至の日時空を分ける人間の営みである。日のながさを測って、その影である時間とそうでない時間が同じになることを見つけ出す、そういうことであったか。あるいは日の傾きを捉えたか。それは途方もない作業であるから、気象と天文は人智の業、術となる。
聞けば日本語クラブだという。それは、活動はどんな風にして、そ . . . 本文を読む
燕子崎、崎は正しくは几きが旁になる。揚子江をまた、見にでかけた。北から、南から、さらになかへと、悠然とした時間がある。大きなタンカーが行き交う。下れば蘇州、上海、上れば重慶、成都を結ぶ。南京市民おの浄水場はきのうでかけて、生命の水に、運搬船はまさに古くからの重要航路にある。紅葉かと思ったら、紅風残照は、紫紅岩に映える夕陽であった。
燕子磯という地名だそうだが、そこに来て揮毫したのが乾隆帝であると . . . 本文を読む
雲の波に青空が透けている。秋の空、そういえば月夜だった。雲の向こうに見えたのは、仲秋の名月になる準備をしていたか。中国の中秋節は年中行事である。ふるさとで家族と団欒を過ごす。故郷に戻れないものは、月に親兄弟姉妹の面影を追う。秋月は明るく照らす光に想いが浮かぶ。
南京秋天となるか。北京秋天というから、どこにもあるものの、澄み渡る青空を待つ心である。近くのコンビニには品揃いが限られている、つぎのス . . . 本文を読む