表現する、何を?眼橋から見えるものは何だろう。空、景色、その場で見るものは文明都市の実験にそびえるビル群があった。眼に吸い込まれて橋を渡って、向こうにあるのはまた、眼である。眼がふたつあることを考えて、わたしたちにあるものは右と左と両眼、そこで向かい合う向こうではないところに、眼のあいだに立っていることに気づく。そう、南京眼橋は眼からはいってもう一方の眼からでる。その場で立つと見えてくるものは、わ . . . 本文を読む
南京市緑化博覧赤い毎日、空を眺めて、変わらぬ雲の流れ、ずっと雨もよい。傘を買ってもそれを使うか使わないか、小雨は降ってもすぐにやむ。今朝は晴れそうな、くものうっすらとしたきれめがある。スマホ画面にはニュース短信が出る。そこから開くことは回線速度でできないことが多い。記事まではエラーとなる。
観光を楽しんだ。緑博公園に出かける。カンさんキさんコウさんの案内を受けた。タクシーなんだが、スマフォで呼ぶ . . . 本文を読む
タイトルは、儒教 怨念と復讐の宗教 著者は、浅野裕一氏、講談社学術文庫、2017年8月、奥付ページの前ページに、本書の文庫化の断りがある。それによると1999年に平凡社から刊行された書名にはルサンチマンの宗教とある。加筆、改題した旨を記す。序文に、孔子神話の著作が岩波書店にあることを述べている。1997年、著者は前世紀にものして20年が経過と振り返る。復讐心の宗教というわけである。
読むと幾 . . . 本文を読む
雨となった。小雨降る。洗濯物が乾かない。2日に及ぶ。講座の日、午後から。
スマホが直った。昨日の午後に学生が再び案内をしてくれた。修理に時間がかかった。それでも、目の前で開いて取り外してまた新しいガラス面を取り付けた。1時間の作業で、二百元だった。とりよせてくれたのですこしたかくなってこの値段、五百元と聞いて来たので、ガラス保護用のシールをサービスして元に戻ってさらに良くなったような、大したもの . . . 本文を読む
雨もよいだった。傘を持つ人が食堂に来ている。散歩にでたら、雨模様になった。南林大の正門がリニューアルしている。地下鉄の駅もできた。門の横に昇降口地下へと、全く便利になった。ずっと工事をしていたあたりが公園になって交差点の角にはポリス公安の案内所ようにガラスばりの瀟洒な建物になっている。3年の間にすっかり交差点前の街並みが変わった。
仏教を知った。苦から逃れる。生老病死の悩み。神道を知った。御霊の . . . 本文を読む
南京に来た。旅行疲れをとる。朝、食事はホテルのバイキング。中国ふうである。食べすぐるので用心する。散歩に公園へ行く。南京林業大学ホテルのすぐ近くにある変わった名前の、情伴侶園という。広いので30分ほどで戻る。午前中は学内を歩き回る。こちらのキャンパスはいつもどこも大きいので、すぐにも切り上げた。午後は昼寝をした。講演原稿を見直す。スマホを取り落す事故があった。ケータイ、スマホを落としてディスプレイを壊したのは初めてである。日が差すとやはり汗をかく。9月はまだまだ気候がきびしいが、話では10月にはガクンと寒くなる。 . . . 本文を読む
定例会、800円の木戸銭で、水曜日が敬老の日の催しになって、祝日開催となる。定員70名の満席であった。と思ったら、演者が明後日も出ますよ、というので、それもあったのかと、感心感心。中国へ出かけるので、参加できないから、残念というわけで、秋露祭の一席に、堪能した。 . . . 本文を読む
忖度は、思いやりとフリガナをつけて理解される、有島武郎が小説のルビにしています。中国古典の漢籍からは詩経と孟子に引用例があり、朱子学に議論があったところ、忖度社会となりました。その解釈が御用学問としてどうであったか、迎合するととらえられました。戦争権力が強大になっていくころです。忖度の構造が見える化したモリカケ議論はメディアの日本政治への攻撃でしたが、くしくも平成の時代にあらわれ、流行語となりました。そのきっかけは、中国の古典解釈をすることなく社会学者が断じてしまったことが影響していると考えます。忖度の論理という、まったくありがたくない分析をしました。結果、忖度バカはとどまることなく、空気、察し、さきまわりした相手の立場と、人間関係のとらえどころのないものになりました。その根本にあるのは、思いやりをしなくなった社会の流行現象にあります。 . . . 本文を読む