今回は、18世紀に建てられた、年号の分かる如意輪観音です。どれも女性の墓のようです。江戸時代は、こうした形の墓もたくさんあったようです。
玉泉寺薬師堂(下大野町2148)
宝永7年(1710)、清光禅定尼(ぜんじょうに)と書かれ、上部には観音菩薩をあらわすサという梵字があります。禅定尼は、頭をそって僧になりながら、家庭にいる女性をいうそうです。
薬王院(元吉田町682)
正徳2年(1712)、禅定尼が読めます。この墓では、禅定尼が右側に書かれていますが、多くは左側に書かれるようです。無縁供養塔のある場所にありました。
天界寺墓地(若宮町 36°22'32.5"N 140°30'05.9"Eあたり)
正徳4年(1714)、上部に「帰真」とあります。帰真は、現在の世界から、真寂本元の世界(仏国浄土)へ帰るという意味のようです。無縁仏群の中にありました。
江川観音堂(内原町566)
元文3年(1738)に建てられたようです。戒名を、散華妙香霊という書き方にしていて、上部には観音を示す梵字サがあります。如意輪観音を示す梵字もあって、キリクというようですが、如意輪観音を彫った墓には、観音をあらわすサが使われるようです。石造物群の中にあります。
中根寺(加倉井町595)
元文5年(1740)、妙和禅定尼とあります。元文の「文」の3,4画がアルファのような草書体になっています。無縁仏群の中にあります。如意真観音のかぶっている帽子のようなものは、宝冠のようです。