ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

紅花(べにばな)&シルクロード

2008-07-12 | Weblog


少し花の盛りを過ぎてしまった、紅花。

          まゆはきを俤にして紅の花・・・・

※(女性が化粧する時に使う眉履きの形にどこか似ていて、やさしくあでやかな、紅の花よ・・・・)

元禄2年(1689年)、今から319年前、俳聖松尾芭蕉が奥の細道紀行で、陽暦の7月13日頃、山寺に入る途中で詠んだ歌とされている。

まさに丁度今頃詠んだ歌。今、山形のあちこちで紅花祭りが盛んに行われている。

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ところでこの紅花という花、キク科の植物で、背丈が1m位、原産地エジプト、地中海沿岸とある・・・・・?。

飛鳥時代、はるか遠くシルクロードを経て、中国より日本に渡来。はじめは近畿地方で大いに栽培され、ここ出羽の国には、室町時代になってから入ってきたらしい。

江戸時代、京都や大阪で染料や口紅として重宝され、この紅花のおかげで、京文化が最上川の舟運によって、山形県の内陸、奥深くまで入ってきた。

紅花について、こうして少しだけ調べてみると、山形県は・・・紅花の山形路とか、県花指定とか、松尾芭蕉が・・・、といって、山形県固有の故郷の花のような扱いをしているが、本当はもっともっと悲喜こもごも、貧しい東北の農村の歴史を象徴するかのような道を歩んできたような気がする。

明治以降、化学染料や口紅が開発され、山形県の紅花生産はたちまち衰退して行った。そして紅花の栽培は、まったく途絶えてしまった。

昭和40年代、1軒の農家の納屋から偶然、紅花の種子が見つかった。
その頃、化粧品や染料の原料に、再び自然志向の機運が見直され、紅花は再び脚光を浴びる。

しかし、まもなく中国より大量の安価な紅花が輸入されることにより、再々山形での紅花栽培は衰退して行った。

そして再々々、歴史は同じ事を幾度も幾度も繰り返す。

近年、中国産や、輸入物が敬遠され、山形産の紅花がまたまた栽培され始めてきた。

ここまでが、紅花の花がたどってきた山形県での大まかな歴史。

あでやかな紅色をした、エジプト原産のこのジプシーのような紅花、これから先、はるか異国の地で生きながらえて行くのに、どんな歴史をたどっていくのやら・・・・・・・・・・。