永遠

2008-09-11 12:17:01 | 日記風
 ある年数生きていれば、必ず受ける傷というものがある。

 それゆえ人が信じられなくなることもある。
 けれど結局その傷を癒すもの人との関係の中でしかないのかもしれない。

 そこへ至るまでね、何かの力は借りるかもしれない。それは自然の中のものだったり、動物だったり、人以外のものかもしれない。
 けれど最後は人の中に戻って、もう1度やり直すことでしか新しい出発はできない。

 傷が治ることはないのだろう。
 
 そして人は愚かだからそこで見つけた新しい人間関係が永遠に続くと思う。
 永遠に仲良しのまま楽しい時間が過ぎると思う。

 しかしそうはいかない。
 
 脱皮を繰り返すように、人間関係もその時々の様相であの人からこの人へ移り変わっていく。
 永遠なんてものは存在しない。移り変わる時が目の前に横たわっているだけ。
 
 それが理解できてないと、また傷を受け、こんな筈じゃなかったとなってしまう。

 面倒と思うか、そうと割り切ってそれを楽しむのか、それで後も変ってくるんだろう。

 そう言いながら、その時が楽しく満たされたものであるなら永遠にそれが続けばいいのにと思わずにいられない。
 そう思うからこそ時は美しくその時の人間関係はより光を放つのに。

 永遠でない不完全さが、この世の儚いものの美しさの正体なのかしら。

「愛してるの」の賞味期限

2008-09-11 00:53:25 | 日記風
 突然ですが、私は愛し合う2人の結ばれゆく過程のボキャブラリーが極端にありません。
 
 愛し合っている2人が愛し合ってる言葉を伝える台詞が極端に判らないのです。

 壊れ行く2人のボキャブラリーなら山のようにあるんだけど。
 どちらにしろ考えもん。

 愛しているほど、その言葉は使わなくなるものかもしれません。
 その言葉を使わずにそれを悟らせる台詞の作り方もあるんでしょうが、物語としては連呼してくださいと思う。

 現実でも是非女性には言って下さい。
 それが全ての場合もあります。

 言えばいうほど嘘に聞こえるケーもあるらしいですけど。
 そのタイミングって奴じゃないですか。

 とことんその言葉を待ってなら、真実が聞こえることでしょう。
 既に不信感が芽生えた後なら、もう何を言っても相手の心には響かないものかも。

 物語であるならば、「愛してる」の台詞が効果的に聞こえるシーンを作らなければならないということでしょう。

 私は理屈がとにかく多いらしい。
 そんなことをちょっと思う。

 愛しているなら愛しているそのタイミングでその言葉伝えられれば、それは新鮮で何よりも輝く言葉なのでしょうが。