冷夏ですか?

2009-08-25 22:11:23 | 日記風
 ニュースを観てたら言ってた。

 今日は涼しくて長袖姿の人がちらほら。
 8月にしては涼しい日だった。 

 今年は涼しい夏でえっ!

 今年は涼しい夏ですか?

 確かに8月になるまでクーラー負けするから、長袖を着てた。8月に入ってさすがに表歩くには暑すぎて半袖にした。

 7月は梅雨が明けたのか明けないのかって時が続いたし、豪雨は降るし……。

 そういう意味では涼しかったんでしょうかね?

 じゃ、なんで私、朝、陽が上っているのを見る度にギラギラ太陽の陽に憂鬱になっていたのは何故?

 そう思って気づいた。
 私の心が中が熱かったのかしら?

 ……。
 
 

予感日和

2009-08-25 20:27:02 | 日記風
 何故か判らないのですが突然身体が楽になってきました。

 暑さが落ち着いたせい?

 前にも似たような経験があるんですが、こういう時って意外といいことが時期起こります。
 
 本人の心が落ち着いてるから違うタイミングで起きたらたいしてありがたくもないことが、ありがたいと感じてしまうのかもしれません。
 そんな簡単な理由でも、嬉しいって心の底から思えることは楽しいことです。

 予感だけします。

 予感だけする時が1番楽しい~。

 ……とか言いながら、月末は現実の雑用に翻弄されている。

私を見ての照明効果?

2009-08-25 18:51:51 | 日記風
 前にも載せたことがあるんですが、本の自販機です。
 恵比寿の駅にあります。

 本屋がある駅もありますが、それよりも更にお手軽なのが本の自販機なのでしょうか?

 文庫本となっていますが遠目から見ると本が大きく見えて、文庫じゃないだろう~って思う。
 
 自販機の中の照明効果なのでしょうかね。

 私を見ての照明効果なら、そこらの女優ミラーに負けてないかもしれないな。

太陽の下、ファッショナブルに闊歩する

2009-08-25 18:03:48 | 日記風



 ずい分暑さが落ち着いてきてません?
 陽が昇ってるのを見ても、外出たくなーいってギラギラ感を感じなくなった。

 もう60は近いんじゃないかって男性がお孫さんの手を引きながら歩いていた。
 けれど格好が、浜辺を歩いていそうなほどラフ。

 白いタンクトップに膝丈のアロハ風の柄のパンツ。
 それにご本人は真っ黒な日焼け顔を白い髪と白いひげで彩っている。

 年齢関係なくかなり格好いいって感じでした。

 若い時から伊達男だったんでしょうね。
 だから今のファッションを取り入れることに違和感がない。
 ずっとやってないとお洒落ってできるもんじゃないですよ。

 きっとお子さんもそんな感じなんじゃないでしょうかね。
 お孫さんも将来そういう風になっていくんじゃないかな。
 
 家庭的には、お祖父ちゃんそんな派手な格好って感じはないんじゃないかな。

 そう考えると家族のファッション感覚って大事ですね。
 家は母がお洒落をする人じゃなかった。

 よく子どもがお母さんが化粧すると嫌いだって言うけど、あれなかったですね。

 化粧はしてるんだけど、身だしなみ程度の化粧だった。
 仕事してて放っておかれるのも当たり前なら、
 化粧=お母さんが外出する
 って感覚もまるでなかったしね。

 育ちの環境って年齢と共に感じるものかもしれませんね。
 ファッショナブルな家族が欲しかったかも……。

 私も少しお洒落するかな。

フォー麺

2009-08-25 13:59:25 | 日記風
 麺はのびる。一般論として、そうだと思います。
 ラーメンとかパスタとか、うどん、そば。茹でですぐに次の調理段階に移ってさっと食べる。じゃないとのびる。
 そういわれていると思います。

 そうめんですら、のびるそうです。

 だから茹でておく、汁とは別にしてあるんだから、麺は麺で茹でておいて置いて後であわせて食べればいいは、のびた麺を食べる前提になってしまうみたいですね。

 家は母が昼夜兼用でそうめんを茹でて冷蔵庫においてましたが、そうかー、あれはのびた麺を食べていたわけだ。

 ちょろっと聞いたところによりますとフォーはのびないらしいですね。ベトナムのお米の麺ですね。

 茹で置きしていいって言ってた。

 そうか、できるのか。

 じゃ、例えば韓国の冷麺もできるのかしら?
 あの独特のゴムのような食感の麺もOKかしらね?

 それはまだ謎です。

 でも元々の麺の材料の特性やなにかでOKだったりするのかもしれませんね。

 のびない麺。そりゃ、限界は存在するでしょうが、いい存在ですね。

初めの一歩

2009-08-25 00:28:57 | 戯曲塾
 私は基本的に話を作ってる時の資料整理が悪いんですね。
 資料整理が悪いと言うのはあまり誉められたことじゃない。

 数年にわたって考えているものは、数冊のノートに渡ってきますので、ノートが3冊くらい存在してたりするんですが、そのノートがどれだか判らなくなる。
 
 なぜならみんなノートの表紙が一緒だから。

 春の入学シーズンの時に10冊いくらみたいなのを買うとみんな表紙が同じでしょう。

 あれを使うから、そうなっちゃう。
 いちいちノートの中身を確かめる。
 このノートはどの話の設定が書かれているんだ?って確かめてたら時間がかかるよ。

 でも昔は、ノートを取っただけで、ノートのかすかな折れとか染みとかで判ったんですよ。
 
 実はある程度は今でも判ります。
 
 本も同じです。文庫本などもブックカバーを本屋でかけてくれるでしょ、まあみんな一緒ですよね。それでも置いてある場所、触った時の感触、本の厚さ、折れや染みで目当てのものをみつけることができました。

 かつては、ですが。

 ノートがある程度の量を超えると何冊ものノートをひっくり返して探すから時間がかかるのです。
 
 簡単な方法が1つだけあります。
 
 表紙に内容のタイトルを書く。
 とてもシンプルで判りやすい方法です。

 が、これをしない。
 
 なんででしょうねー。

 性格ですね。

 ただこれは直した方がいいと思っています。
 時間がかかってしょうがないし能率が悪いし、ノートを作る意味が判らん。

 頭の中の整理がついていない証拠となってしまいかねません。

 劇作家コースでは設計図を作りなさいよってことを言われるんです。
 要は家を建てる時も、その全体図、細かい設定、全て書き出すでしょう。それを見ながらその通りに書けばいい。
 だったら書けない筈はないということです。

 これはその所々で言葉が違いますが、箱書きとかって言い方もするみたいですね。 
 意味は同じです。全体像を作れ、ということです。

 最後どうなるんだ?式に始めると着地点がないので未完で終わるという結果に陥りやすいのです。

 改めて、凄い基本中の基本の話を書きましたが、いく分かは自分の頭の整理がつけたかったのね。

 前に物語を作ってると言うと、
 「それ完結してる?」
 って言われることがありました。
 「してるよ」
 と答えていましたが、してない人は意外と多いです。書きたいけど終わらない。
 その気持ちは判らないでもない。
 それは最初の一歩が違うからだけ、かもしれません。

 ということで、そろそろノート整理をしないとなぁ。