私には昔から不思議なことがある。
大人は判ってくれない
大人はきたない
大人は嫌い
そういう中学生、高校生の子たちの気持ちです。
私が中学高校の頃も含めてですが、それを考えたことはなかった。
むしろ、子どもの方がずるいと思っていたくらい。
家庭環境的な問題で、子どもの頃からずっと、子どもでいられなかったというのがある。
典型的な大人子供だった。
純粋に子どもとして振舞っていた時代がとても短かった。
子どもの時から、児童劇団で、子役のようなことをしていたから、こましゃくれていたともいえるんだけど、大人の中にいると
大人は逃げられない
待ったが効かない
が、判るんです。
でもこちらとしては、どうせ子どもだと思っているから、自分がふり当てられた役がエキストラで、
やっぱ、めんどくさい
エキストラの1人なんていなくても、どうにでもなるじゃん
と思って、ばっくれたりしたことがあったんです。
とりあえず、どうして来ないんだ、行かないんだ?と聞かれはしても
あちらも
子どもだから言ったってしょうがない
そう思ってるだろうなと感じると
子どもを振りかざすことの方が楽じゃん
となってしまったわけ。
だから大人の方が大変だし、振りかざせるんだったら、子どもを振りかざしている方が楽じゃん
という解釈が成り立ってしまったの。
だから、早く大人になりたいとも思ったことはない。
だってみんな大人になるし、そしてその時間の方が明らかに長い。
だったら無理して大人にならなくても、子どもでいられる内は少なくても「真似」でもしてる方がいいと思った。
高校生当時、周囲が急に大人びて行く頃、私は逆に子どもじみて行った。
今更大人になることに憧れもないし、急いでなるより、もう大人としてやっていかざるを得ないときが来るまで、子ども領域にとどまっている方がいいと思った。
このあとも20を過ぎた後しばらくは、どうせ女の子だからお嫁に行っちゃえばいいんだものね
と言われる。
それにはカチンと来てました。
そういう男女差別的な発言はいやだったの。どこかで仕事で成功したい人だから、そういう腰かけ仕事をしていると思われることはいやだったのね。
今でも私はずい分、子どもっぽいように思います。
今は、いつまでも子どもでいる方が楽だと気がつきだした子もけして少ないないんじゃないかと思う。
今の世の中にとって、早く大人になりたい、大人は嫌いだ、というこの方がさっさと大人になって立派に社会を支えて行ってくれるのかもしれませんね。
そんな風にも思うようになりました。
どちらにしろ、若者が社会を担わないといけないわけだから。
ちょーーーっと若者からとうが経った私としては、若者に託すしかないんだけど、ある頃から思っておりますがな。
負うた子に教えられる
そうなっております。
残酷さと純粋さを持ち合わせた子どもの方が、よほど怖いですわ。
そして彼らはやはり尊い時間を過ごしている。
澄んだ眼は確かにきたないこと、ずることをしっかりと見極めている。
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