英王室、今度はチャールズ皇太子祝賀会を巡ってキャサリン妃とメーガン妃の不仲説再熱

2019-03-07 18:00:00 | ニュース

 PopCulture.com(出典)

 女王主催によるチャールズ皇太子の祝賀会、様々なゲストも招待された。

 しかし注目を浴びるのファブ・フォーと呼ばれるウィリアム王子&キャサリン妃夫妻、ヘンリー王子&メーガン妃夫妻だ。



 The Telegraph(出典)

 今度は妃同士の不仲説が話題に上がる。

 けれど、王子2人が歩いて来る様子と妃同士の距離感を見ると、あれれ…という気も。


 このお2人は単に話が合わないんじゃないのかと思う。

 共通項がないんじゃない?

 メーガン妃に第1子が生まれれば、子どもトークができそうだが、育て方が違えば、いちいち「あれ?」となったりして。

 それ以上に驚くのが、母と息子が並んでいるのに、チャールズ皇太子の妻たるカミラ夫人がぼっち状態になっていること。

 それぞれの関係性が出てしまった感じの写真です。

 カミラ夫人も70歳を越えたから今更なにか反乱を起こしたくもないだろうけど、その分。メーガン妃頑張れと思ったりして。(批判の女王大賞はあなたが独占よ)

 それでも異母兄姉、親戚と言っても血がつながってるかどうか判らない人がいろいろ主張する実家のことを考えると、メーガン妃はキャサリン妃との関係を大事にした方がいいと思うな。

 こういうのも難しいのだろうか?





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悩んで行き詰った時こそ、人の為に生きて、って本当か?

2019-03-07 03:00:00 | 日記風
 
 テレビでそんな台詞があった。

 自分が苦しみ抜いたときは、人の為に生きてみろ。それで人から喜んでもらってたら、自分も救われる。

 そうなのかな。

 脚本にしても書籍にしても、書き手が苦しみ抜いて書いている言葉だから、いい加減というのはあまり存在しないと思う。

 なんだけど。

 私は家庭の問題などで行き詰った時に、普段連絡を取らない人から「相談にのって」と言われたときに叫びそうになったぞ。

 その人が介護の仕事をアルバイトとしてしているらしいが、それがまたなんでというもので、私の周囲に病院と老人問題なら山のようになる。

 不思議なことに芸能関係の仕事をしてる人は、介護職をアルバイトというか副業でしていることが意外と多いのね。

 普段付き合いもない人にメール1本書いたらそんな…むしろ今1番聞かされたくない話を聞かされなくてはならないのか。

 不思議すぎる。

 私からしたら、どこへ行ってもある問題が付いて回り、逃げ場がない状態になった。

 そのメールをそもそも書いたのは、その人がある私が好きな演出家の舞台に出たようなので、その演出家の話が聞ければと思っただけです。

 その人自身の近況に興味はありません。

 しかし、相手を盛大に間違えたとしか言いようがない。

 その人はダンサー関連にまつわる仕事が年齢的なことでなくなって、それもあっての相談にのってだったらしいが、私にはどうしようもありません。

 相談にのれるだけの精神的な余地もありません。

 のって欲しいのはむしろ私、のらなくてもいいから違う幸せな話でも聞ければ、自分なりにもう少し発奮するかという気力もわいてくるかと思っただけだ。

 今は昔と違って年金が出る年齢もあがってるし、高齢者でも退職せずに働くように言われるようになった時代だ。

 だが、高齢者が頑張って職を得ると、若い人があぶれるという困った問題も生じる。

 社会の事情が違ってきてる。


 私に相談にのってといった人とは、元々気が合わないらしく、何故?そんなことを言われるということはあった。

 やはり昔だけど、初めて本を出した時に、ちょうどそれが出る前で、これからどうなるのか1番不安がマックス状態だったときにある言葉を言われ、固まったことがある。

 
 「やることやったら、手首でも切っててください」


 普通言うか?そんなこと?

 私が不安な顔をしていたんでしょう。

 その人と話していて話の締めくくりとしてその人は私に対しそう言ったのです。


 私はそんなことはしない。

 絶対しない。

 本当に死ぬ気なら、一発でいきます。狂言で人の気を引いてる。逃げていると思われる自死なら、絶対にしない。

 どうしてもしたいなら、問題が片付いて、どうして?と周囲が思うようになってからしてやる。

 自分の問題から逃げたとも思われる行動も絶対にしたくない。……年齢と共にこれも難しいことだろうと思うようにはなっているのだが……。

 だからそういうことをかつて私に言った過去がある人が(多分、絶対忘れているだろうが)そういう事態になっても、あなたの性格がそれを導いたんじゃないとしか言えない。

 そんな人間性の人の舞台など見たくはないです。

 そうなってしまいます。

 相手は、その場でただ意味もなく言ったことだろうけどね……。

 他の人もとんでもないこと言われたといっていたことがあったから、きっとそういう報いが却って来てるんじゃないでしょうか?

 人が幸せな気持ちのときに冷や水を浴びせる言葉を言うらしい。

 ときにそれが必要なときもある。

 あるけど、それは限度問題なんじゃないの?

 けれどこういう世界は、意識的にか無意識的にか上がってくる人を叩き落そうとする傾向は無きにしも非ずで……ちょっと難しいかな。

 でも、今思うと、その人の周囲に簡単にリストカットをしちゃう人が多くいたのかもね。

 その人事態も、そういう行為に出たいと思ったことがあったのかもね。

 全く普段から自分の頭にないことをポンと言えるほど人は器用じゃないのよ。

 そして最初に話しは戻るが、人に情けはかけておくべきだ。

 情けは人の為ならずという言葉は、元々は、人に情けをかけておけば、やがて自分のところへ帰ってくるという意味だそうだ。

 ただどうしても自分の問題で行き詰って、人のために動けないときも…その元気も失うときもあるわさと私は思う。

 とくに失望が大きくなったようなときは、少し本人自身が問題を少しでも肩から下ろし、休みたいと思うわさ。

 それでも人の為に尽くすと、何かが変わってくるのかな……。

 そういう意味ではどんなに困っても悩んでも、最後に箱の中に残っていたのは、希望だったという、パンドラの箱の話は意味があるのかもしれない。