大阪水曜ほっと集談会一世です。
おたまじゃくしは 蛙の子 なまずのまごでは ないわいな
それがなにより 証拠には やがて手が出る 足が出る
最近、年齢と共に子供の頃なにげなく口ずさんでいた童謡の歌詞からも、深い意味を学ぶようになった私です。
さて皆さんは神経質というと、どういうイメージがあるのでしょうか?
いつまでも小さなことでくよくよする。
些細なことが気になる。
若い頃は、神経質と言われると、ネガティブで、暗いイメージがあって正直嫌でした。
逆に何でもはっきり言ったり堂々としている人物に対して卑下したのも事実です。
今は、同世代で神経質ではない、場の空気を読めない無神経な人に接すると、気分が悪くなります。
重ねて言います。
私は自信満々の自称神経質性格者も嫌いです。
神経質と勝手に名乗るなと言いたいのです!
逆に過剰に自分を否定する神経質者も嫌です。
自分だけが特別に苦しい。
自分だけがとても緊張する。
自分を変えたい。
こんな自分が嫌だ。
自分が好きになれない。
主観的にはそう思うのも理解出来ますが、事実ではないと思います。
このような悩みに対して、私は言葉では言いませんが、心密かに思っていることがあります。
あなたは自分以外の何になろうとしているのですか?
少なくとも私は、神経質者の特徴である自己内省の持つ魅力についてこれからも声を大にして伝えていきたいのです。
※今日の森田博士の言葉
重ねていう、
自覚することを知らないでいたずらに目前の思想の矛盾に迷っているものは、
いたずらに物を大切にしなければならぬ、ということばかりに屈託して、土塊(つちくれ)と宝物との見境さえもつかなくなる。
この得難く立派な素質として、世に生まれ出た神経質の一生を酔生夢死に終わらせるや否やということが、
一にこの自覚するや否やということに帰着するのである。
2024/06/15 一世