
大阪水曜ほっと集談会一世です。
今日は少し硬いお話になることをご容赦ください。
私たちの人生には自分が意図しなかったことが時々起こります。
自分の努力や行動だけではどうにもならないことが起こるのです。
そのようなことに出会った時無力感とともに、以前から気になっていた言葉があります。
それはわがはからいにあらずという言葉です。
これは仏教の言葉ですが長らくどういう意味か、よくわかりませんでした。
ちなみに森田博士の著書には はからうという言葉がよく出てきます。
調べて見ると古語のはからひには、考える、判断する、処置する、計画するというような意味があるようです。
間違っているかもしれませんが最近は、私なりにこのように解釈しています。
それは私が判断し責任を負える問題ではないので、自然の力に任せましょう。
それは私が対処できる問題ではないのです。
対処できないことには責任がないので、放っておきましょう。
これは森田療法の説く、「感情は人間の内なる自然現象の一つであって意志によってコントロールできるものではない」にも通じるかと思います。
アドラーの説く課題の分離にもそのような発想を感じるのですが、アドラーは、とても意思的かつ行動的であるのに対して仏教の説く「 わがはからいにあらず」はもっと大自然に委ねるしかないという東洋的なある種のあきらめや開きなおりを感じるのです。
小さな河川の水がやがて大海に注がれるように、すべてはあるがままという大河にそそがれるのかもしれません。
職場や家族間での人間関係に疲れた時、ふとこの「わがはからいにあらず」という言葉を思い出して心をリセットしている一世です。
2023/11/13 一世