大阪水曜ほっと集談会一世です。
今年も中学生や高校生の職業体験の時期がやってきた。
昨日は中学生の職業体験で私が一日担当した。
私の職場は女子生徒に人気があると、担任の先生が言われた。
いきなり4人の女子中学生の担任になったような気持ちであった。
同じことを言っても子供たちの反応は様々である。
彼女たちは、なかなか一つのことに集中することが難しいのだと感じた。
学校の先生の大変さを少しだけ理解できたような気がした。
そこで普通に作業をするだけでなく、何か将来に対して夢を持ってほしいという気持ちでゲーム感覚で楽しめるように工夫して接した。
元気いっぱいの中学生を見ていて、このころから読書恐怖の苦しみを感じていた中学生の頃の自分を思い出した。
読書恐怖というのは、受験勉強に集中しようとすればするほど雑念が気になって勉強に集中できない、教科書を見ると頭痛や吐き気に襲われる状態である。
やがてこの兆候が高校生になり不登校という地獄のような苦しみにつながるのであった。
朝の通学時間になると学校に行けないという後ろめたさで心がざわついた。
そして夕方になると明日は学校に行けるだろうかという不安で心がかきむしられるのであった。
次第に勉強部屋の中で転げ回るような苦しみに襲われたのであった。
当時の私は、雑念が受験勉強の邪魔になると考えそれを取り除こうと不可能な空しい努力をひたすらやり続けていたのである。
それは受験に合格したい、認められたいという心とは真逆の自らを欺く行為であり心が苦しいのは当然であった。
※今日の森田の言葉(水谷啓二先生より)
向上欲の強い点において神経質者は確かに優秀である。
しかし神経症に悩んでいる間はその向上欲を社会の現実に適応しつつどうやって満たしてゆくか、という具体的な方法を知ろうとしない。
つまり、社会や人間というものに対する正しい認識が欠けているために、自分の置かれた境遇に適応しつつ自分の目的を一歩一歩実現してゆくということができない。
だから職場や周囲の人たちとの間になんだかしっくりしない感じをおぼえ、孤独になり、自信をなくし、自分の内部に閉じこもるようになる。
しまいには「自分は病気である」という観念にとりつかれることにもなるのである。
2023.11.9 一世
※自覚と悟りへの道 あとがきより抜粋