~ 恩師の「心行の解説」より ~
己の意識(霊)が肉体という衣を着て、自分の持っている悪い癖、
欠点を修正するためにこの地上に生まれ出ております。
人はなくて七癖、あって四十八癖ともいうほど沢山の癖を持っていて、
その癖を修正することがこの世に生まれ出た大きな目的の一つですね。
次にどれだけ悪を犯さないか、過ちを少なくしていくか、
またどれだけ善き行いを積み重ねるか、愛の実践ができたかということが
この世に生まれた目的と使命です。
「人々と手を取り合ってそして調和を目的として」をもっとかみ砕いて説明しますと、
「正法」とはどれだけ自分の癖、欠点を正せるか、どれだけ過ちを少なく生きるか、
どれだけ善い行いを積めるかということに尽きると思います。
また「正法」の学びの中で大事なことは、ほんとうの神様を知るということです。
神様はいっぱい在られまして、ほんとうの神でない神があまりにも多いですから、
私は「まことの神」「ほんとうの神様」と呼ばせてもらっています。
キリスト教的には「父なる神」「天に坐します我らの父」、或いは、
「私たちを造り給うた父なる神」といっているこの神こそまことの神様ですね。
示す偏に申すと書くまことの神は宇宙の中でただおひと方であり、
それは自らの姿をこの大自然の中に現わし、私たちに「このように生きなさい、
このように生きてはならない」と示し申されるのがほんとうの神様です。
真の神は「形あって形なし、形あっては天地自然に現わせし姿これなり、
形なくては汝らを生かさん力これなり」というお方です。
すべてのものを生かそうとして下さる大生命こそほんとうの神です。
そのお姿を見たければ私たち一人一人が神の御子であり、
神のいとし子であると知ることです。
つまり神様がご自身を示し現わすために人間を造られたのですから、
人の悪口を言ったとしたら、これは神様の悪口を言ったことと同じです。
どなたに対しても、もし謗ることがあれば、神を謗ったことであり、
人を殴ってしまったら、神様を殴ったことになります。
このほんとうの神を知ってこそ私達は日々の生活に安らぎを戴けます。
~ 感謝・合掌 ~