~ 恩師の「心行の解説」より ~
前回は生老病死の苦しみによって自分自身の本性も忘れ去ってしまうのは、
人間の持っている煩悩によって曇るからだというお話をしました。
この煩悩のもとは、私たちの眼・耳・鼻・口・体の五官ですから、
人間はもともと煩悩の塊なのですね。
煩悩の塊であると思って間違いありません。なぜかといいますと、
この五官は全部私たちの身を守るために与えられたものですから、
自己を中心としてものを見、聞き、触れ、舌で味わって、
都合の悪いものはみな避けるように造られているのです。
嫌なものは見たくない、嫌な言葉は聞きたくない、
口に含んで嫌なものは吐きだしてしまうのは、
すべて自己保存のために与えられた道具の働きによるのです。
ですから五官を通してものを見たり聞いたりしているということは、
「私は絶対に間違っていない」と思ってみましても、
すでに間違っているということです。
すでに自己保存と自我我欲という色眼鏡がかけられているわけで、
この自己を中心として見ることが煩悩になってくるのです。
煩悩から私たちが逃れる方法、煩悩に振り回されないものの見方、
聞き方、話し方とは、常に自分という立場を離れて相手の立場に
立って物事を見聞きする訓練をすることです。
奥様はご主人の立場に立ち、ご主人は奥様の立場に立って常に
相手の立場からものを判断させていただくようにしますと、
自分から離れた見方ができます。
~ 感謝・合掌 ~