~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
私たち一人一人の中に、神様が自らを表現するために入っておられます。
その神様が肉体の五官という悪魔のよそおいをなさっています。
ですから表面に捉われますと、悪魔の働きが出てきて、
それが自己保存・自我我欲となります。
しかし悪魔の仮面を剥がせば、その中は神ご自身であるはずです。
私たちは一人一人魂の修行にこの世に生れているのですが、
ついつい五官に翻弄されてしまいます。
五官による翻弄を煩悩ともいっています。
人間は肉体を戴いた限り、避けることのできない自己保存と自我我欲の煩悩を持ちます。
キリスト教では「人間は罪の子である」と説かれていますが、本質は罪の子ではなくて、
肉体そのものが持っている自己保存と自我我欲こそが罪そのものだったわけです。
イエス様が「人間は罪の子だ」とおっしゃたのはそのことをさしています。
六根という煩悩を戴いておりますが、自分が悟らせてもらった時には、
即菩提となります。
自らが仏となります。
魂の表面意識は、自分の思いによって感情的になったり、理性的になったり、
つまり「知性、理性、本能、感情」の四つが働きます。
思いによって想念の働きが起きるのです。
その想念の働きによって、今度は意志が働いて行動に移ります。
人間の本能と感情の分野が異様に発達しますと、理性と知性が小さくなって、
正しくものが見られなくなります。
人を好きになった時の「あばたもえくぼ」の状態ですね。
心が丸い状態で、四つの思いが想念によって調和されていますと、
あばたはあばたに見えます。
逆に知性ばかりが大きくなりましたら「頭でっかち」になり、これは危険です。
想念の働きによって私たちの意識の状態がいろいろと変化します。
私たちの心は、想念の働きによって腹を立てたり、恨んだり、憎んだり、呪ったり、
また或る時は、飛び跳ねるほど喜んだりします。
~ 感謝・合掌 ~