~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 三
「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」
先の続き・・・
「父母に仮に呼ばれて客に来てまた立ち帰るもとのふるさと」
もとのふるさとに立ち帰るとは、この世を卒業した時のことです。
このことを普段から心の中へよく入れておくことです。
そうしますと死というものは別に怖い問題ではなく、
この世は魂の修行をするためにお父さんお母さんの縁を頂いて
お客様に呼んで頂いているだけで、帰るべき時が来たら
ほんとうの自分のふるさとに帰るのだということが分かると、
死を怖いと思わなくなります。
私は二十代に、この言葉に巡り合いまして、死の恐怖から逃れました。
ですから、死というものには、いっさい恐怖はなく、
いつお迎えを頂いても喜んで帰らせて頂く用意があります。
というのは、今日までの間に私がさせていただいたことを
あの世に帰りまして「これだけのことをさせていただきました」と
いって報告できるお土産を作っております。
ふるさとに帰る時に、日頃、私たちが神様の愛を
この肉体を通してどれだけ日々の生活の中で現せたか、
ほんとうの神様の御心をどれだけの方にお伝えできたか、
これが大きなお土産になるのではないかと思います。
善き行いを積み、人々の心にどれだけ安らぎを与えてきたかが
あの世に帰る時のお土産になります。
幸い私は少しお土産を作りましたので、
もういつ死んでも満足でございます。