~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 三
「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」
先の続き・・・
太陽の熱・光は、現象界での社会的地位の高い方も低い方も、
お金持ちの方も貧しい方も、病気の方も健康な方も、
すべて平等に与えていただいています。
神の慈愛とはこのようなものですから、
私たちも人を差別することがあれば、
もう神の心に背いたことになります。
どなた、こなたに関係なく平等の思いを持って他を差別することなく接し、
すべての方を愛すべきです。
また、あの太陽の熱・光を頂き、
その光の中にありながら悪を犯す人はいっぱいあります。
私たちもそうでした。
しかし未だかつて太陽から裁きを受けた方は一人もおりません。
「お前は悪いことをしたから罰を当ててやろう」とか、
「あなたは善いことをしたから熱と光をたくさん上げましょう」とか
そんな差別はいっさいありません。
神様の慈愛もこのようなものです。
私たちがどのような過ちを犯そうが悪いことをしようが、
ほんとうの神様はただ「目覚めなさい。気付きなさい。
そして幸せになりなさい」という慈愛を垂れ給います。
人を裁くということは、神のご意志に背いているのですね。
神のご意志に背くことは自然の法則に背くことです。
そして自然の法則に背いた時、神が私たちを罰せられるのではなくて、
自分で自分を裁くのです。
これは自然の掟であり、そして神の御心です。
もし人が過ちを犯しても、それを私たちが裁く必要はありません。
それは過ちを犯した人と神様との関係です。