~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 四
「守護・指導霊に感謝しさらに反省は
己の守護・指導霊の導きを受けることを知るべし」
先の続き・・・
それにはいろいろな原因があります。
いくら善いことをしましても、
どれだけ人様のために尽くしましても、
どれだけ人を救わせてもらいましても、
その結果として自らを苦しめているからです。
自分の苦しめることは神のご意志に背くことです。
神は「自らを苦しめることなかれ、自らを愛せよ、
自らを愛するがごとく他を愛せよ」と言われます。
これは神様の至上命令です。
私たちのお母さんお父さんは、子供の幸せを願って下さいます。
その親以上の愛をもって私たちの幸せを常に
念じ願って下さっているのがほんとうの神様、父なる神ですね。
私たちは神のいとし子です。
そして父はただ子の幸せを願われます。
神の大いなる愛は常に私たちに注がれております。
このことを知った時、
私たちはいかに幸せあるかということが分かりますね。
~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 五
「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」
私たちは五官によって感じ、「意」によって喜び、苦しみ、悲しみます。
五官に「意」を含めて六根です。
つまり「眼・耳・鼻・舌・身・意」これで六根です。
肉体には眼、耳、鼻、口があり、
そしてこの体をいれて五官が与えられています。
この五官によって魂の修行をさせていただくのです。
五官が無ければ肉体が保存できませんから、
どうしてもこの五官を通して目で見、肌で感じ、舌で味わって、
都合の悪いものは避けて自分を守ろうとします。
苦いものや毒などは吐き出しますし、
火に手が触れると熱いから避けますし、
針で突いたら痛いので避けるというように造られています。
五官を通して見る時は、どうしても自己保存になりますが、
それが当たり前なのです。
そして自我我欲に捉われて当然なのです。
自己保存のために与えられた道具ですから、
そうなって当たり前のこの肉体の
中に、神の子の私たちの内なる魂が宿って
修行させてもらうのですね。