浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2019-08-18 01:30:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 三

「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

これを心の草引き、心の雑草の引き抜きとも言います。
いくら綺麗に耕し、草一本ない畑を作っても、
何カ月か放っておきますと、草はぼうぼうに生えています。

これから春夏にかけては、畑を一カ月も二カ月も放置しますと、
草引きが大変です。
根も大きくなり葉もはびこります。
これを双葉の間に少しずつ摘んでおけば楽に除草できます。

「心の雑草」とは怒りであり、妬みであり、愚痴であり、
恨み憎しみのことで、それが常に心から芽生えてきます。
「私はもう悟ったから、
いっさい雑草は出さない」と言う方はないのです。

だから、あの偉大なるお釈迦様にしましても
「常に草引きをしなさい」とおっしゃったのですね。
雑草を引き、そして適当な水をやり、
肥やしを与えて心を豊かにしていくことです。

心の灌漑、施肥とは、こういうお話を聞き、
話から得た知識を実践して智慧に変えることです。
素晴らしい実を成長させることです。

いくら綺麗に整地し、綺麗に耕し、そこへ良き種を播きましても、
雑草をそのまま放っておきますと、
たちまち種は雑草の勢いにやられてしまいます。
心の中の雑草は常に芽生えようとしますから、
日々に精進して抜き取ることが私たちの修行の一つです。

生きる限りこの雑草を避けることはできないのですから、
「私は悟った。そんな思いはいっさいない」というのは
真っ赤な偽りです。
そして次には、悟りの持続をすることに価値があります。

「その原因は煩悩なり 煩悩は 
眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が根元なり」

自分自身、神との約束を忘れ去り、
神様のご意志に背いてこの世を去っていくのですが、
その原因として生老病死の苦しみと
この苦しみをつくる五官の煩悩があるのですね。

五官の煩悩といいますのは、
人間の持っている眼・耳・鼻・舌そして体です。
神様は上手に造って下さって、
私たちの魂の修行ができやすいようにこの五官を
与えて下さっているのです。

目について言えば、
もし目がなかったとしたらこれは便利が悪いことこの上ありません。
耳が聞こえなかったらこれも具合が悪いですね。
この世には身体に障害を受けたお方もおられますが、
ほんとうに不自由なことと思います。



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