~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 三
「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」
先の続き・・・
今はお陰様でこうして元気に飛び回っておりますが、
やがて腰が曲がり杖をついて歩くようなった姿を
皆様に見ていただくのでしたら、今、花と惜しまれる間に
散りたいと思うのも人情かと思います。
「先生、死んだらあきません。長生きして下さい。
先生が死んだら私ら難儀ですから、いつまでも生きて下さい。
もし無理だったら私が死ぬまで待って下さい。
私を天上界へ上げてくれたら、
もういつ死んでくれてもよろしいから・・・」
こんなことをおっしゃるのですね。
死にたいと言っているのに死んだらあかんとおっしゃるし、
それも自分のために言われるのです。
私たちは生死を越えなくてはいけません。
この話も時々するのですが、この世に現実に自分があるのです。
ところがその自分が全く違う次元で話しているのが
分かる時があるのですね。
この世にありながら、あの世にも同時に生きているということが
はっきり分かるのです。
今この地上にこうして肉体を頂いておりますが、
私の心はあの世この世ともに生き通しているということが
自分で自覚できるのです。
ですから死の恐怖というものはいっさい関係がないのです。
人はみなこの世に生きていると錯覚を起こしていますが、
ほんとうはあの世この世を通して生きているのが私たちの実相です。
どういうことかと言いますと、
肉体はこの三次元世界の現象世界のものであり、
心は四次元以降に実在界のもので、実在界と現象界が一つとなって、
この世というものが現れているということですね。