添付のお写真は先日投稿しました聖母マリア様のお顔の部分を拡大したものです。
恩師「長尾弘」先生がこの聖母マリア様に心の中でお話をされた時、マリア様が涙を
流されました。(この時のお写真は明日投稿する予定です。)
~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~
講演集 一
思い変えの方法「結構の源やん」
「ごめん、源やんおるか!」と言うと、
「ハーイ」と言って出てこ来られたそうです。
「かなわんなあ、こんだけ降ったら」と言いますと、その源やんが
「ああ結構やないか」とおっしゃったそうです。
「結構、結構やないか」というのは、「有難いやないか」ということです。
「これだけ雨が降るのに何が結構や」と友達が聞きますと、
「お前らよう考えてみい。
これだけ毎日毎日降る雨を、もし神さんが天でこう受けてくれはって、
そして一杯たまった三十日分の雨をバーッと一遍にぶっちゃけてくれはったら、
家も畑も田圃もみな流れてしまう。
こんなに毎日しとしとと分けてよう降らしてくれはったもんや」と言って
喜ばれたそうです。
もう食うていけないような状態の中にあっても、
毎日降る雨を一度に溜めて降らしたら、えらいことになるのに、
うまいこと分けて降らしてくれるとは、神さんって有難いなあ
というように思い方を変えてしまうのですね。
世間の人は皆「かなわんなあ、かなわんなあ」と言っているのに、
そのお方はさすがに「何と結構やなァ」と言われたといいます。
やがて、その方は東大阪一番の結構な人になられたそうです。
ものすごい結構な、まあ大金持ちですね、大分限者になられたそうです。
大阪では有名な話です。
「喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びにくる」
私達はまず喜ばなくてはいけません。
そうしますと喜びごとが喜んでくれるのです。
同じことが言えます。
不足、愚痴、そういう思いを想念し、行為しておりますと、
不足や愚痴がよけい不足や
愚痴を言って、不足や愚痴を集めて来ます。
幸せになる筈がありません。
すべてを喜びに変える方法は、この「源やん」の思い方をうまく
利用することですね。
そうしますと、どんなものでも喜びに変えられます。
見方、思い方をちょっと変えてみますと、
感謝することは一杯あるのです。