浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我れ食べず人に施す母の愛
幼き我に布施教えらる

「御垂訓」

2020-04-24 00:26:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はその昔、イエス様がガリラヤ湖の岸辺を歩いておられるとシモン(別名ペテロ)
とアンデレの二人の兄弟が舟に乗り、網で漁をしているのに出会いました。
彼らは漁師でした。イエス様が「私について来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と、
声をお掛けになると、二人はすぐに網を捨て、イエス様についていきました。と聖書に書かれています。
そのガリラヤ湖を背景に周辺の景色をカメラで撮影されている恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~

               講演集 一


先の続き・・・

感謝する者にも、しない者にも、同じように熱と光を注がれます。
天に唾すれば自分に返りますが、これは引力の法則で、お日様は
唾をかけようとは思われないのであって、
自然の法則で唾が自分にかかっただけのことです。
私達も、もし過ちを犯せば自分に返ってきます。
天に唾するのと同じです。
私達も自分にとって都合が悪いからといって報復手段を取ったり、
言葉でもって悪口を言われたから言い返してやったというようなことをしたら、
太陽の心に背いています。

何を言われようと、「ただ、させていただく」その行為こそ神の行為です。
いくら慈悲を与えても洞窟の奥底へ逃げる人があります。
これは自ら逃げるのあって、太陽が与えておられないのとは違いますね。
逃げるから、光を避けるから届かないだけです。
ほんとうに大いなる神の光から遠ざかって人生を生きている人もありますね。
そのように太陽は自らを犠牲にして他を生かし給う姿、
万象一切のものについて差別をされない、罰を当てない、
報酬をお求めにならない。神様もそれと同じです。
ただ与え給うのみでいっさいお求めになりません。


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